最近、無電柱化に向けての意識が高まっています。推進派の多くは欧米の街並みと比べて景観が悪いからとのことですが、確かに市街地では電柱が林立していて空が開けていないのは心理的にも抑圧された感じになります。林立している電柱にも趣があり、それもかえって芸術的だと感じる方もいるでしょう。感性は人それぞれでしょうが、一度電柱のない風景に慣れたらあえて電線で空を覆いたいと思う人は少ないはずです。電柱があって嬉しいのは鳥ぐらいじゃないでしょうか。先日シジュウカラの巣作りから巣立ちまでを観察しましたが、改めて電線は鳥たちに役立ってるなあと実感しました。見上げてみると色々な鳥が電線に留まっていました。スズメ、カラス、ムクドリ、シジュウカラ、その他名前の知らないきれいな鳥たち。ただ、彼らは別に電線が無くても屋根や木に留まればいいので特に困らないでしょう。むしろ、無くなってくれた方が、電線の下を通る私たちにフンを落として飛んで行ったりすることもなくなり人間から敵視されることも減るでしょう。実際、カラス、ムクドリなどは市街地で繁殖しすぎているきらいがあるので電線がない方が人間にはありがたいはずです。
無電柱化のメリットは他にもあります。都内では世田谷区などの狭い道を自転車で走るときに電柱が邪魔になってどうしても車道寄りに膨らんで走行しなければならなくなり、そんなとき車がスピードを上げて追い越してくるととても危険です。歩行者にとっても電柱は邪魔で、電柱の手前でいちいち車が来ないか確認しないといけないような場所もたくさんあります。車の運転手にとっても狭い道に電柱がそそり立っているととても走りづらいです。また、電柱にはよくペットの犬がマーキングをしますが、一旦マーキングされたらどんどんマークされどうしても見た目が悪くなります。たまにウンコなど落ちていると最悪です。通学時にそれを踏んだり、踏んだ跡を見たら一日いやな気分になりますよね!
とにかく、ここで私が言いたいのは「市街地の無電柱化は積極的に推進して欲しい。できないのであれば、市民が無電柱化に向けて行動できる仕組みを作ってほしい。」ということです。私の場合は三鷹市ですが、市内を見てみると駅前の商店街や一部の主要道路は無電柱化が既に実施されています。電柱の代わりに歩道に電気ボックスが設置されています。このボックスは街路樹や電灯の間に置かれているので特に邪魔にはなりません。今後も市内では道路拡張などの整備に伴い無電柱化を進めていくようですが、市内全域の無電柱化を果たして自分は見届けられるのでしょうか?今のペースでは無理でしょうね。
無電柱化には当然費用が掛かります。行政任せにしていては、いつまでたっても推進はされども実際に施工されることは無いでしょう。経済的には人口密度の少ない地域で無電柱化を行う意義は少ないですが、市街地では無電柱化によって町の魅力・価値が上がり同時に地価も上がるはずなので、意識の高い住民が参画して無電柱化を自力で進められる仕組みがあれば、おのずと進められると考えています。まずは自分の周りから無電柱化したいですよね。無電柱化というキーワードで地域のコミュニケーション、連帯感が深まり非常時の対応もしやすくなるはずです。なにより、地域で共通の意識・目標があるのは楽しいと思います。
私が言いたいのはこれだけですが、なぜこのようなことを考えているか説明させてください。まず、街並みというのはその国、地域の文化・歴史と深くかかわっています。私がこれまで観てきたなかで一番素敵な街並みだと感じたのはロシアのサンクトペテルブルグです。エルミタージュ美術館周りの観光スポットは別格としても町全体に気品というか統一感があり、市民の美意識の高さが分かる街並みでした。あのような街並みを維持するには、建築物の高さ・塗装色の制限など強い政治力が必要でしょうが、一番はそれを支える市民の想いではないでしょうか。日本の場合は、戦争で焼け野原になって高度成長する過程で景観を守るルール作りをする余裕などなかったのは容易に想像できます。その遺産が林立する電柱に表れているように感じます。
石の文化の欧米と異なり日本では伝統的に建物を建て替える頻度が高いので、土木建築技術が発展しています。そのため、電力会社と協力して電柱を無くすぐらいは簡単にできるはずです。電柱の数が多いのが問題なのであれば、国や自治体主導だけでなく民間主導でも無電柱化を実施できるようにすれば効率的ですよね。調べてみるとすでにそのような組織がありました。
NPO法人 電線のない街づくり支援ネットワーク
無電柱化民間プロジェクト
特に上記のNPO法人が提唱している「電線のない街並み形成に係る資格制度」が広まることに期待します。このような資格制度は往々にして監督官庁の利権になりやすいのが気になりますが、ある程度行政側が音頭を取らないとやる気のある人は無駄に努力をすることになるので早期の制度づくりを目指してほしいです。国はIR法(いわゆるカジノ法)については積極的に推進しているのに無電柱化についてはあまりニュースになりません。IR法通すのであれば、景観の観点から駅前のパチンコ屋を廃止して郊外のカジノ施設に統合して欲しいです。IR法を推進したいのは外国企業であって、国内世論は推進に向け世論が醸成されているとは到底思えません。むしろ、実際に統計をとればカジノより無電柱化を推進したい人のほうが多いと思います。こういった景観に関することは、戦後日本の政治がおろそかにしてきた部分ではないでしょうか。ロシアのようにとは言いませんが、歴史、文化、芸術、機能性など統合的な視点から行政がリーダーシップをとって進めてもらいたいです。オリンピックでおもてなしするのであれば、おもてなしに足る美しい街並みが必要ではないでしょうか。無電柱化を進めることで、誰もが住みたいと思う街並み、住民が自信・誇りを持てる街並みを作ろうという市民の連帯意識が高まることを期待します。日本のマーケットを狙う狡猾な外国企業に騙されないためにも、そういった自発的な連帯意識は大切だと思います。外圧ではなく内圧で政治・行政を動かすのが本来の姿ですし、私たちが当然持つ権利です。私は、無電柱化への取り組みは一種の敗戦処理だと感じています。
このような思いを強くしたきっかけは、曾祖父・阿部元太郎のことについて興味を持ち始めてからです。小さいころ従兄姉(年長のいとこ)からひいおじいちゃんは豪邸に住んでいて、銅像まであったんだけど戦時中に弾薬にするためなくなったとか、戦後その豪邸はGHQに使われていたとか、持っていた土地は寄付したとか、いかにも子供が好きそうな話を聞いていたのですが本当かどうか確かめるすべもなく、まあ嘘ではないにしても眉唾だと思っていました。私が小学校2年の時に祖父は亡くなりましたが、祖父は小さいころからアメリカ人の家庭教師に英語を教えてもらっていて英語が堪能で、若と呼ばれていたというのは両親から聞いていました。曾祖父はかなり前に亡くなったそうで、どういう人物だったのかとくに考えることもありませんでした。考えたとしても、ただ金持ちだったらしいということしか知らず、自分には関係ないと思っていました。転機が訪れたのは大学生の頃、隣に住んでいた祖母の家に京都大学の博士の人が曾祖父のことについて尋ねにきた時でした。
その方が博士論文を祖母の家に置いて行ってくれたので私もぱらぱらとめくり、初めて曾祖父が何をした人なのか知りました。阪神間の宅地開発の先駆者で特に晩年に過ごした雲雀丘の開発では、自然地形を生かし環境に配慮した美しい住宅開発を行ったとのことです。イギリスの田園都市をモデルにしたと言われていますが、何もないところに住宅地を造成したため、幼稚園や小学校を作るなど住民たちで自治を行っていたそうです。
上の写真は当時の雲雀丘駅前で運転席に乗る祖父です。日本で一番最初に自家用車に乗った人らしいです?!実家には写真は何も残ってないのでネットで色々と調べたところ、あの京都大学の博士論文を書かれたのはおそらく中嶋先生とおっしゃる方で、このような素晴らしい論文やスライドがありました。スライドの中に着物のご婦人が女の子に紅茶をいれる写真がありますが、このご婦人は今は亡き祖母です。弥生おばあちゃんです。間違いありません。とすると、女の子は久子伯母さんでしょう。祖母によると曾祖父は洋式が好きな人で、紋付き袴など伝統的な古いものは全て捨てさせたそうです。食事はフォーク・ナイフの洋食でキッチンから2階まで小型の配膳用リフトで運んだそうです。信じられませんね。当時の日本でそこまで徹底した人がいたとは驚きです。街並みを洋風にするのなら生活様式からということでしょうか。街づくりにおいても景観維持に努め住民と協力して、生垣や犬走りの設置などに共通のルールを課していたそうです。当初、電線は地下に埋めていたそうです。まさに理想郷ですね。新しく開拓した住宅地だからできることでしょうが、曾祖父がこのような理想主義的な人物だったと知ることができ嬉しく思いました。中嶋先生、埋もれた歴史に光を当てていただきありがとうございました!
現代の無電柱化を推進するに当たり、曾祖父の理想主義は参考になるのではないでしょうか。民間のデベロッパーが新規に宅地開発する際に、あえて理想主義的な宅地造成を目指しその運営に住民を巻き込んでいく。リフォームする際には個人個人に自由を与えるものの地形を変形させたり、景観を損なうような増改築は規制する、という方針で入居者を募集すれば数十年後には誰もが住みたくなるような住宅地になると思います。当然、電柱なんてありません。そうすると、デベロッパーも潤いそのような開発モデルが波及、古い街並みもそれに倣えば50年もすれば市街地の無電柱化は民間主導で達成できるのではないでしょうか?
ちょっと理想主義にかぶれてしまいました。現代と戦前では時代が違うのでそのように上手くはいかないはずです。(上記の論文によると曾祖父は終戦直前の昭和19年に亡くなっているそうです。)私は個人主義的な性格なので、理想的な宅地造成などとてもできません。自分のできる範囲で理想主義を追求したいと思います。理想的な物理の論文を書くとか、理想的なテニスの試合運びをするとか、理想的な家庭を築くよう努力する、などなど。
私が大学生のころまで本籍地は曾祖父の出身地、滋賀県神崎郡能登川町(現東近江市)でした。ずっと気になっていたので、去年の正月、時間ができたときに初めて行ってみました。名神の八日市インターで降りたのですが、西にそびえる鈴鹿山脈の迫力に、あぁこういうところだったのか~と在りし日の近江商人に想いを馳せました。地元の図書館で旧本籍地の場所を教えてもらってから現地確認。旧街道沿いに蔵造り風の古い家屋が残っていました。最後にその時の写真を添付します。
無電柱化のメリットは他にもあります。都内では世田谷区などの狭い道を自転車で走るときに電柱が邪魔になってどうしても車道寄りに膨らんで走行しなければならなくなり、そんなとき車がスピードを上げて追い越してくるととても危険です。歩行者にとっても電柱は邪魔で、電柱の手前でいちいち車が来ないか確認しないといけないような場所もたくさんあります。車の運転手にとっても狭い道に電柱がそそり立っているととても走りづらいです。また、電柱にはよくペットの犬がマーキングをしますが、一旦マーキングされたらどんどんマークされどうしても見た目が悪くなります。たまにウンコなど落ちていると最悪です。通学時にそれを踏んだり、踏んだ跡を見たら一日いやな気分になりますよね!
とにかく、ここで私が言いたいのは「市街地の無電柱化は積極的に推進して欲しい。できないのであれば、市民が無電柱化に向けて行動できる仕組みを作ってほしい。」ということです。私の場合は三鷹市ですが、市内を見てみると駅前の商店街や一部の主要道路は無電柱化が既に実施されています。電柱の代わりに歩道に電気ボックスが設置されています。このボックスは街路樹や電灯の間に置かれているので特に邪魔にはなりません。今後も市内では道路拡張などの整備に伴い無電柱化を進めていくようですが、市内全域の無電柱化を果たして自分は見届けられるのでしょうか?今のペースでは無理でしょうね。
無電柱化には当然費用が掛かります。行政任せにしていては、いつまでたっても推進はされども実際に施工されることは無いでしょう。経済的には人口密度の少ない地域で無電柱化を行う意義は少ないですが、市街地では無電柱化によって町の魅力・価値が上がり同時に地価も上がるはずなので、意識の高い住民が参画して無電柱化を自力で進められる仕組みがあれば、おのずと進められると考えています。まずは自分の周りから無電柱化したいですよね。無電柱化というキーワードで地域のコミュニケーション、連帯感が深まり非常時の対応もしやすくなるはずです。なにより、地域で共通の意識・目標があるのは楽しいと思います。
私が言いたいのはこれだけですが、なぜこのようなことを考えているか説明させてください。まず、街並みというのはその国、地域の文化・歴史と深くかかわっています。私がこれまで観てきたなかで一番素敵な街並みだと感じたのはロシアのサンクトペテルブルグです。エルミタージュ美術館周りの観光スポットは別格としても町全体に気品というか統一感があり、市民の美意識の高さが分かる街並みでした。あのような街並みを維持するには、建築物の高さ・塗装色の制限など強い政治力が必要でしょうが、一番はそれを支える市民の想いではないでしょうか。日本の場合は、戦争で焼け野原になって高度成長する過程で景観を守るルール作りをする余裕などなかったのは容易に想像できます。その遺産が林立する電柱に表れているように感じます。
石の文化の欧米と異なり日本では伝統的に建物を建て替える頻度が高いので、土木建築技術が発展しています。そのため、電力会社と協力して電柱を無くすぐらいは簡単にできるはずです。電柱の数が多いのが問題なのであれば、国や自治体主導だけでなく民間主導でも無電柱化を実施できるようにすれば効率的ですよね。調べてみるとすでにそのような組織がありました。
NPO法人 電線のない街づくり支援ネットワーク
無電柱化民間プロジェクト
特に上記のNPO法人が提唱している「電線のない街並み形成に係る資格制度」が広まることに期待します。このような資格制度は往々にして監督官庁の利権になりやすいのが気になりますが、ある程度行政側が音頭を取らないとやる気のある人は無駄に努力をすることになるので早期の制度づくりを目指してほしいです。国はIR法(いわゆるカジノ法)については積極的に推進しているのに無電柱化についてはあまりニュースになりません。IR法通すのであれば、景観の観点から駅前のパチンコ屋を廃止して郊外のカジノ施設に統合して欲しいです。IR法を推進したいのは外国企業であって、国内世論は推進に向け世論が醸成されているとは到底思えません。むしろ、実際に統計をとればカジノより無電柱化を推進したい人のほうが多いと思います。こういった景観に関することは、戦後日本の政治がおろそかにしてきた部分ではないでしょうか。ロシアのようにとは言いませんが、歴史、文化、芸術、機能性など統合的な視点から行政がリーダーシップをとって進めてもらいたいです。オリンピックでおもてなしするのであれば、おもてなしに足る美しい街並みが必要ではないでしょうか。無電柱化を進めることで、誰もが住みたいと思う街並み、住民が自信・誇りを持てる街並みを作ろうという市民の連帯意識が高まることを期待します。日本のマーケットを狙う狡猾な外国企業に騙されないためにも、そういった自発的な連帯意識は大切だと思います。外圧ではなく内圧で政治・行政を動かすのが本来の姿ですし、私たちが当然持つ権利です。私は、無電柱化への取り組みは一種の敗戦処理だと感じています。
その方が博士論文を祖母の家に置いて行ってくれたので私もぱらぱらとめくり、初めて曾祖父が何をした人なのか知りました。阪神間の宅地開発の先駆者で特に晩年に過ごした雲雀丘の開発では、自然地形を生かし環境に配慮した美しい住宅開発を行ったとのことです。イギリスの田園都市をモデルにしたと言われていますが、何もないところに住宅地を造成したため、幼稚園や小学校を作るなど住民たちで自治を行っていたそうです。
上の写真は当時の雲雀丘駅前で運転席に乗る祖父です。日本で一番最初に自家用車に乗った人らしいです?!実家には写真は何も残ってないのでネットで色々と調べたところ、あの京都大学の博士論文を書かれたのはおそらく中嶋先生とおっしゃる方で、このような素晴らしい論文やスライドがありました。スライドの中に着物のご婦人が女の子に紅茶をいれる写真がありますが、このご婦人は今は亡き祖母です。弥生おばあちゃんです。間違いありません。とすると、女の子は久子伯母さんでしょう。祖母によると曾祖父は洋式が好きな人で、紋付き袴など伝統的な古いものは全て捨てさせたそうです。食事はフォーク・ナイフの洋食でキッチンから2階まで小型の配膳用リフトで運んだそうです。信じられませんね。当時の日本でそこまで徹底した人がいたとは驚きです。街並みを洋風にするのなら生活様式からということでしょうか。街づくりにおいても景観維持に努め住民と協力して、生垣や犬走りの設置などに共通のルールを課していたそうです。当初、電線は地下に埋めていたそうです。まさに理想郷ですね。新しく開拓した住宅地だからできることでしょうが、曾祖父がこのような理想主義的な人物だったと知ることができ嬉しく思いました。中嶋先生、埋もれた歴史に光を当てていただきありがとうございました!
現代の無電柱化を推進するに当たり、曾祖父の理想主義は参考になるのではないでしょうか。民間のデベロッパーが新規に宅地開発する際に、あえて理想主義的な宅地造成を目指しその運営に住民を巻き込んでいく。リフォームする際には個人個人に自由を与えるものの地形を変形させたり、景観を損なうような増改築は規制する、という方針で入居者を募集すれば数十年後には誰もが住みたくなるような住宅地になると思います。当然、電柱なんてありません。そうすると、デベロッパーも潤いそのような開発モデルが波及、古い街並みもそれに倣えば50年もすれば市街地の無電柱化は民間主導で達成できるのではないでしょうか?
ちょっと理想主義にかぶれてしまいました。現代と戦前では時代が違うのでそのように上手くはいかないはずです。(上記の論文によると曾祖父は終戦直前の昭和19年に亡くなっているそうです。)私は個人主義的な性格なので、理想的な宅地造成などとてもできません。自分のできる範囲で理想主義を追求したいと思います。理想的な物理の論文を書くとか、理想的なテニスの試合運びをするとか、理想的な家庭を築くよう努力する、などなど。
私が大学生のころまで本籍地は曾祖父の出身地、滋賀県神崎郡能登川町(現東近江市)でした。ずっと気になっていたので、去年の正月、時間ができたときに初めて行ってみました。名神の八日市インターで降りたのですが、西にそびえる鈴鹿山脈の迫力に、あぁこういうところだったのか~と在りし日の近江商人に想いを馳せました。地元の図書館で旧本籍地の場所を教えてもらってから現地確認。旧街道沿いに蔵造り風の古い家屋が残っていました。最後にその時の写真を添付します。
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