2018年9月30日

『父』と『母』の小説紹介



の2本です。『父』は作家の小林恭二が亡くなったお父様のことについて調査・インタビューした内容をまとめた小説というよりエッセイで、とくに後半の体験談を交えたエピソードの連続からは著者の書きたいという思いが伝わりとても印象深い作品でした。例外的な人物でしょうが戦前のエリートの実像・虚像を知ることのできる貴重な本です。このような人には実際に会う機会がないとホントに居るのか実感がわかないし、読んだだけではなかなか頭で理解できないと思います。その意味でこの作品を小説と考えるのは妥当でしょう。ただ、私も著者と同様に小学校から大学まで神戸と東京で育ったので、神戸だったらこういう人いただろうなと興味深く読みました。(実際身近にそのような人がいたわけではありません!?)三浦綾子の『母』は3回ほど読み直しています。一度、家族にも聞いてもらいたくて全編音読したことがありますが迷惑だったかも。私は三浦綾子のあまり熱心な読者ではありませんが『道ありき(青春編)』

2018年9月27日

Mathematical Reviews への寄稿を振り返って

アメリカ数学会が運営している論文データベース Mathematical Reviews への寄稿依頼を初めて受けたのは2009年6月でした。学位取得してから数年しかたっておらず、研究機関にも属していないフリーの研究者で、数学を専門にしているわけでもない私に依頼が来るとは相当人材難の状況なのだろうと容易に推測できましたが、私にとっては民間就職して学位とは全く関係のないプログラミングに四苦八苦している最中だったので専門知識が活かせる唯一の依頼であったし、ともすると研究から離れがちになる気持ちを繋ぎとめてくれる救いのようなオファーだったので、ありがたく受けることにしました。初めのころは張り切って寄稿していましたが、そのうち一度に複数の論文のレビューを行うことに負担を感じ始め、専門分野と違う論文もちらほら回ってきて苦労しました。それでも当初は、いい勉強の機会だしトレンドに置いておかれまじと出来る範囲で関連論文を読んで対応していましたが、やはり次第に負担になってきて、期限ぎりぎりで書き上げることが多くなってきました。また、無理して書き上げるとどうしてもあまり深く理解しないままヤッツケ仕事のような感じになり自分でも楽しくなくなってきたので、途中から一度の依頼での論文数を1つだけにしてもらうことにして、興味のない分野や自分の専門とかけ離れている論文については積極的に受け付けないことに決めました。それでも、なぜか定期的に論文が回ってくるのでこれまで続けてきました。2011年の震災の直後に数ヵ月依頼が来なかった期間がありましたが、その間は震災後の状況を慮ってくれたようで、もし再開しても大丈夫なら連絡くださいとのメールが編集者の方から来たときには、アメリカ的な気遣いに感謝しました。

2018年9月25日

2016年GWの家族ドライブ、福島・新潟

2016年のゴールデンウィークは福島と新潟を回ってきました。東北道で福島西ICで降り浄土平へ。浄土平は磐梯朝日国立公園内にありビジターセンターまでの道中、硫黄臭が漂いあまり緑も見当たらず、火山に来たなあという感じでした。ビジターセンターのすぐそばの吾妻小富士山頂まで散策。火口付近は風が強く天気も曇り気味でした。

2018年9月24日

ウイルス感染の劇場型詐欺(ボリウッド風)に引っかかりかける!

恥をしのんでご報告します。皆さんも気を付けてください。

9/22土曜日の午前中にリビングから子供たちが大声で呼ぶので何かと思い見に行ったら、PCの液晶モニタの大画面から「ウイルスに掛ったのですぐに対応してください」というような警告音が鳴り続けていました。子供たちがYouTubeで「カモンベイビアメリカ」という動画を見ようとしたら変な画面になって消せなくなってしまったとのことでした。自作PCのWindows10に無料のWindows Defenderというのを入れているだけなので、私はそれが起動して警告を出しているのかと思い表示されている電話番号 0434672436 に連絡しました。今考えると連絡してしまったのがそもそもの間違えでしたが、何をやってもブラウザ(Edge)が消えないようだったしマイクロソフトのサービスだから大丈夫だろうと思って連絡しました。すると本格インドカレー屋の店員のような話し方をするオペレータが出てきて、windowsマーク+rキーで LogMeIn123.com というサイトに誘導され、指定された6ケタの番号を入力するとオペレータがリモートログインを開始。すぐ治してくれると思いきや、ウイルススキャン用のアプリをダウンロードしてきてあなたのパソコンは危険です、情報ダダ漏れですと不安をあおるような言葉を畳み掛けてきました。私は、あとで自分でtrendmicroのウイルスバスターを入れるのでとりあえずこの警告だけを消してくれと頼んだところ、その為にはウイルスを削除しなければなりませんがそれは私達でないとできませんと言い始め、しまいにはお金を要求されました。2年で6万、5年で8万と法外な値段で明らかに怪しいと思い始めましたが、リモートコントロールされているので無下にも出来ないの迷っていると、一旦冷静になろうということでしびれを切らした感じの妻に電話を替わりました。妻がお金は払えないと言ったところ、1年で3万で契約しませんかと言い始めました。この時点で詐欺だと分かりました。妻は初めからわかっていたそうです!ただ、せっかくここまで騙されたのでもう少し話を聞いてみると、今PCを再起動すると元には戻らなくなります今契約するかどうか決めてくださいと言い始めました。向こうもしびれを切らしたのかエンジニアという人に替わりましたが、相変わらずインド人の喋るような日本語で対応されました。そんなに高いお金は払えないしあなた方の言うように電源を切ると壊れるというなら、新しいOSを入れ替えますというと、新しくしてもセキュリティとか付けると高くなるなど言っていました。私のほうも半ば呆れかえって、これ以上サポートはいりませんと言って電話を切り、PCをシャットダウンしました。無事再起動しましたが、edgeを開くとまだ警告音が鳴り続けてたので Ctrl+Alt+Delでプログラムを停止したところ無事元通りになりました。ただこのままだと不安なのでノートパソコンに入れているウイルスバスターの残りがあったので自作PCにもダウンロードしました。今までこんな経験はしたことないので、あんな手の込んだ自作自演型のウイルス感染詐欺があるのだと驚きました。電話番号自体が怪しかったので検索すると

2018年9月18日

ヘルマン・ヘッセのこと

お世話になった先生シリーズ3の最後にヘッセの『ガラス玉演戯』


の話が出たので、学生のころに影響を受けたヘルマン・ヘッセの作品についても忘れないうちに書いておきます。手に取ったヘッセの作品のほとんどは新潮文庫だったので、ヘッセと親交のあった高橋健二さんの訳で読みました。中学2年のころ教科書だったか参考書に載っていた『車輪の下』

2018年9月13日

視力回復のため眼鏡の度数を下げてみる

私は中学一年から眼鏡にお世話になっています。一時コンタクトもつけていましたが、高校生のとき部活で使うグラウンドの砂埃がひどくて目に傷ができたためそれ以後はもっぱら眼鏡をかけています。勉強のしすぎで視力はみるみる下がり、20代から今まで0.03ぐらいの弱視です。30歳のころ(2004年に)目を良くしようと思い


という本で頑張りましたが、結局ほとんど改善しないまま途中でやめてしまいました。その後も視力回復を謳う本でいろいろと試してみましたが長続きせず、視力回復は図れませんでした。

ところが、最近40歳で視力を0.1以下から0.8まで自力で回復させたというそれこそ目からうろこのブログ

https://atumori.biz/entry/2016/09/18/064656/

を見つけたので、ダメもとで試してみることにしました。ブログ筆者が実際に視力を回復した方法はとてもシンプルで次の3つのステップを実践したそうです。

2018年9月12日

最近読んだ本:高村薫

大学生になって1年目でしたでしょうか、時間があるので何か分厚い本を読まなきゃ恥ずかしいなというそれだけの思いから本屋で見つけた


というのを一気に読んだことがあります。理系なのでミステリーとか読むのは軽すぎるかな、もっと文学っぽいの(大江健三郎とか志賀直哉とか)読まないとなあなんて考えていましたが、その後も


が出ると気になって読んでしまいました。時代に合ったエンターテイメントとして良質だったし読んでいて楽しかったからですが、真面目な学生としてはこんなの読んでいていいのだろうかと少し後ろめたさはありました。もっと世界の文学(ガルシア・マルケスとかオクタビオ・パスとかパブロ・ネルーダとかボルヘスとか、そう全部ラテンアメリカの作家です)を読まなきゃいけないなあなどと考えていました。その後、勉強の方が忙しくなり小説やミステリーを読むことは意識的にしなくなりましたが、デビュー作の『リヴィエラを撃て』を偶然読む機会があった縁があるので高村薫の作品はいつも気になっていました。学生時代に読書家の友人が同世代の作家として読むべきはやはり平野啓一郎かなと言っていましたが、私にはあまりピンとこず、同世代というより同時代の作家として読むべき人がいるとしたら私にとっては高村薫かななどと思っていました。Ph.D.取得後、時間に余裕ができたときに読んだのが

2018年9月6日

お世話になった先生方3:高校

前回の続きで、このシリーズの最後のエントリーです。久しぶりに中学校の頃のことを思い出して感慨にふけってしまい頭がぼうっとなっていましたが、気を取り直して高校時代にお世話になった先生についても書いておきたいと思います。1990年から1993年まで東京学芸大学附属高校に通いました。1年生の時の担任は物理の小田切理文先生でした。入学早々に自己紹介もかねて順番にスピーチしましょうということになり、先生が最初に話をしてくれました。もう30年近く前のことですが良く覚えています。高校生の時にサーフィンに夢中になっていたそうですが、最後の夏に進学のためこれからはサーフィンできなくなるので、ビーチに深い穴を掘ってサーフボード埋めて、「さようなら、バイバーイ」と手を振りました、という話を穏やかながら情感あふれる口調で話されたのがとても印象に残っています。小田切先生には確か3年の時に実際に物理の授業を受けましたが、独自のプリントでの講義は分かり易く楽しかったです。ご高齢でしたが分子運動ダンスなど披露してくれて気持ちはいつも若々しい先生でした。

2018年9月5日

お世話になった先生方2:中学校

前回の続きです。中学校は1987年から1990年まで目黒区立第十中学校に通いました。神戸から引越してきたので標準語がすべて自分にケンカ売っているように聞こえてしまい入学早々教室で盛大にケンカして負けてしまいました。その日の下校時にケンカ相手が「君、名前なんていうの?」と声をかけて来てたので、私は「なんやこいつ」と思いながらも負けたからには逆らえないので「阿部だけど」と(できるだけ関西弁にならないように)ぎこちなく答えたところ、「オレ、佐藤、よろしくな!」とまるでさっき何もなかったかのように爽やかに言って去って行きました。私は、ポカ~ンとして「なんやあいつ、話し方なんかハガたらしいけど、まあ許しといたるわ!」と呟きながら何故か笑ってしまいました。佐藤君は学年で一番サッカーが上手く、何度か一緒にサッカーして遊ぶうちにすぐ仲良くなりました。これが私の東京生活のスタートです。

1年生の時の担任は大日方先生という新任の女の先生でした。日体大でバスケットをやってたらしく、バリバリの体育会系で男勝りな印象の先生でした。しゃべり方も、ちゃきちゃきの江戸っ子らしくべらんめえ調でハッキリ物を言うので私には新鮮でした。特に理不尽に怒られることもなく、生徒の話も素直に聞いてくれるいい先生でした。中学生になると教科別に先生が変わりますが、特に印象に残っているのは社会(地理)を教えてくれた有田先生です。180cmぐらいある長身ですらっとした女の先生で校舎内でもサングラスをかけていてモデルのようでした。八王子にあるバレーボールの名門校から早稲田に進まれたそうでおそらくバリバリの体育会出身だったはずですが、そのような感じは全くなく、話し方も穏やかで授業も色々なエピソードを交えてくれて興味深かったです。学生のころにバックパックをしてバンコクでチャオプラヤ川沿いの寺院に泊まった朝の風景の話をしてくれた後に、「皆さんも大きくなったら是非世界中旅行してくださいね!」とおっしゃられたことが頭から離れず、大学1年の夏に初めて1人でバンコクに行き、その後も長期休みはバックパック旅行を楽しんだすえ、それでは飽き足らず大学院は海外に行くことに決めたのはあの有田先生の言葉がキッカケだったかもしれません。授業で東欧地域を取り上げた際にはマストロヤンニとソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』を紹介してくれました。ウクライナの肥沃な農地に広がる画面いっぱいのひまわり、戦争で離ればなれになった男女、そして切なく心にしみる音楽、素晴らしい映画なのでぜひ見てくださいね!との言葉も忘れられません。もちろん観ましたよ!ロサンジェルスという先生の板書に真面目な生徒が教科書にはロサンゼルスと書いてますがどちらが正しいのでしょうかと指摘したときに、どっちでもいい、元々 Los Angels が正しくてこれはスペイン語で天使という意味です、スペイン語ではロスアンヘルスと言うけど英語読みするとロサンジェルスです、と教えてくれとても勉強になりました。

2018年9月2日

お世話になった先生方1:小学校

9月になって家の子供もそうですが新学期が始まりました。最近は学校に行きたくない人も多いようですが、私は学校が好きだったので新学期になるのは楽しみでした。久しぶりに会う友達と色々と話をするのが楽しかった記憶がありますが、知らないことを教えてもらう授業も好きでした。子供のころは先生たちが親以外では唯一身近な大人なので、無意識のうちにも先生方から色々学ぼうとしていました。大人になって学校の先生の名前や校歌を覚えていないという人も多いと思いますが、私は両方ともよく覚えています。ただ、いつまでも覚えているかは心許ないので小中高でお世話になった先生について書き残しておきます。小学校には1981年から1987年まで神戸市立高羽小学校へ通いました。

小学1年生の担任は黒田美穂子先生でした。ベテランのおばあちゃん先生で1年1組の学年主任でした。幼稚園とは違って厳しい先生で子供ながらに怖かったです。仲の良かった井上君が提出物を忘れたので往復2時間かけて家まで取りに帰った事件がありました。井上君の家には一度遊びに行きましたが土山町の坂の上のさらに上のほうで大人でも登るのが大変な所でした。あまりにも遠かったので2学期からは隣の学校に転校してしまって残念でした。38年も前のことですが覚えています。井上大地君、その後元気ですか?数年前に小学校の同窓会が六甲道であり、卒業以来久しぶりに小学校の友人に会いに行きました。その時聞いた話では黒田先生はもう亡くなられたそうです。一年の間でしたがお世話になりました!