前回のエントリー「青空と夕焼けに想う(2)ナイアのエッセイから」の続きです。第2章ではレイリー散乱の $\om^4$-依存性を光子の低エネルギー弾性散乱における有効作用と光子と誘電体球との相互作用項のゲージ不変性から導きました。大学院の最後の2年ぐらいはよくナイアと一緒にランチに行っていましたが、そのときに空の青さとゲージ不変性のことについて簡単に教えてもらいました。私は空の青さについては J.D. Jackson の有名な『古典電気力学』の教科書
の第10章でしか勉強していなかったので、場の理論の第一原理から散乱振幅を導くことや $\om^4$-依存性にゲージ不変性が関係していることに驚きました。ナイアは以前からこの話が好きでいつか一般向けに解説文を書いてほしいなと思っていたところ 2015年にResearchGateという研究者向けのサイトに公開してくれました。
ジャクソンの教科書と言えば電磁気学のバイブルのような本で、学部生のころ日本語訳を図書館で借りて結局読めずに返却した思い出があります。今は知りませんが当時日本の大学(大学院も含めて)ではジャクソンに沿った古典電磁気学の講義は残念ながら行われていませんでした。アメリカの大学院では、Timothy H. Boyer先生という古典電磁気学の専門家の授業を受けることができる幸運に恵まれました。ボイヤー先生は、古き良きアメリカを体現するようなジェントルマンで板書も全て流れるような筆記体、どういう訳か毎年大学院の電磁気学の講義を受け持っていました。長年ジャクソンの教科書を使った講義を行っており、前期で1章から7章まで、後期で8章から14章までを教えてもらいました。まさにライフワークのような講義で複雑な式の導出もすらすらと板書されていたのには驚きました。試験問題もジャクソンのあの難解な演習問題から出題されるので、学生には太刀打ちできませんでしたが、なぜかボイヤー先生直筆の模範解答が試験対策プリント(いわゆるシケプリ)として伝統的に学生の間で広まっていて、試験前には必死で詰め込み勉強しました。あれぐらいやらないとジャクソンの電磁気学はマスターできなかったと思います。ボイヤー先生ありがとうございました!
ちなみに、ボイヤー先生の古典電磁気学に対する姿勢は学者・教育者の鑑のようでした。通勤中の地下鉄でお目にかかる際はいつもジャクソンの第3版を手にしておられました。また、自分からはおっしゃられませんでしたが、なんと教科書の第8章355ページの脚注には、ボイヤー先生が直接ジャクソンに指摘したであろう注意事項が記載されています。私は量子電気力学 (QED) に興味があったので、一年の講義の最後のほうにボイヤー先生に直接、「QEDの古典極限として古典電磁気学を理解した方が分かり易いと思いますが、先生はなぜそこまで古典的なアプローチにこだわるのですか?」と今思えばとても生意気な質問をしたところ、"Because I believe it, Mr Abe." と誠実にお答えになられたのが印象に残っています。その時私は苦笑いするしかありませんでしたが、そんな信念をもっている奇特な先生に電磁気学を習えたことは本当にいい経験でした。
さて、場の量子論を使って空の青さを考えるナイア先生の解説に戻りましょう。今回は第3章の日本語訳になります。
光子と大気中原子との散乱が$\om^4$-依存性を持つことから、空の青色を説明できる。太陽光の青色部分は高い振動数$\om$を持つのでより散乱されその結果、大気中に拡散される光となる。黄色部分のスペクトルはそれほど散乱されず、直射日光の中にとどまってるため、太陽は黄色く見える。夕方や早朝には太陽光が大気中を通過する距離が長くなるので、黄色いスペクトルも相当散乱される。そのため、赤色などの振動数の低いスペクトルが直接光にとどまり、赤焼けた日の出、日の入りとなる。これが大ざっぱな描像であるが、もちろん色々と微調整する必要がある。例えば、実際の大気は密度が常に一定であることは無く、分布密度は高度があがるにつれ薄まる。また、気象条件などによる散乱媒体の密度変位も重要である。しかしながら、決定的な要因は 散乱過程での$\om^4$-依存性であり、密度の統計的な揺らぎである。そして、これらは(低エネルギー)有効作用のゲージ不変性と統計分布の性質そのものに由来する。したがって、空を見上げた時に我々を楽しませてくれるあの "elevated thought"(高揚した想い)とはこのことであろう。つまり、我々は空を見てこう想えばばいいのだ―――「ゲージ不変性と密度揺らぎ!」であると。
海の青さについては何か言えるだろうか?少量であれば透明でしかない水が、海として大量に集められるとあのように濃い青色に、我々の惑星が広大な宇宙空間の中で青白い一点 (pale blue dot) として現れるのは何故でしょうか?海が空を反射しているからでしょうか?海の深く濃い青色を見ればその可能性は少ないことが分かる。そのような効果があったとしても、せいぜい目立たない程度のものでしょう。というのも、宇宙から見た地球の画像(上図)は海から発せられる光が青色であることを明確に示しているからです。大陸の上には青みががった様子が認められないので、大気の影響は僅かしかないことも分かる。つまり、海の青い色は水の光吸収の性質から理解されるべき問題なのである。
豊富に存在し、我々の体内成分のおよそ3分の2を占めているにもかかわらず、水は複雑な液体で、その性質については今でも調査・研究されている [1,2]。可視光領域の波長付近での水の吸収スペクトルを上図に示す。可視光領域のより詳しい吸収スペクトルは下図の通りである。
赤外領域とラジオ波領域では吸収率が高く、可視光領域に行くに従い吸収率は下がっていく。(図に示されていないラジオ波領域より波長の長い電波領域でも吸収率は高い。この事実は水中での潜水艦探知にレーダーが使われない理由の一つである。)可視光領域では、赤方のスペクトルが青方のものに比べて強く吸収される。その結果、水中での光の伝播が短距離であれば吸収の効果は無視でき(水は透明に見え)るものの、長距離になるに従い主に青色スペクトルの光だけが生き残る。とはいえ、我々が見ている海からの光は海中を伝播する光ではない。よって、水の中で青い波長が生き残るとはいえ、それらは自ら飛び出て我々の目に届かなければならない。これにはもちろん多くの散乱過程が関与する。したがって、最終的には、海の青さを説明するには散乱を考える必要があるが、空の青さを説明するのと同じ理由付けは直接的にはできない。
の第10章でしか勉強していなかったので、場の理論の第一原理から散乱振幅を導くことや $\om^4$-依存性にゲージ不変性が関係していることに驚きました。ナイアは以前からこの話が好きでいつか一般向けに解説文を書いてほしいなと思っていたところ 2015年にResearchGateという研究者向けのサイトに公開してくれました。
ジャクソンの教科書と言えば電磁気学のバイブルのような本で、学部生のころ日本語訳を図書館で借りて結局読めずに返却した思い出があります。今は知りませんが当時日本の大学(大学院も含めて)ではジャクソンに沿った古典電磁気学の講義は残念ながら行われていませんでした。アメリカの大学院では、Timothy H. Boyer先生という古典電磁気学の専門家の授業を受けることができる幸運に恵まれました。ボイヤー先生は、古き良きアメリカを体現するようなジェントルマンで板書も全て流れるような筆記体、どういう訳か毎年大学院の電磁気学の講義を受け持っていました。長年ジャクソンの教科書を使った講義を行っており、前期で1章から7章まで、後期で8章から14章までを教えてもらいました。まさにライフワークのような講義で複雑な式の導出もすらすらと板書されていたのには驚きました。試験問題もジャクソンのあの難解な演習問題から出題されるので、学生には太刀打ちできませんでしたが、なぜかボイヤー先生直筆の模範解答が試験対策プリント(いわゆるシケプリ)として伝統的に学生の間で広まっていて、試験前には必死で詰め込み勉強しました。あれぐらいやらないとジャクソンの電磁気学はマスターできなかったと思います。ボイヤー先生ありがとうございました!
ちなみに、ボイヤー先生の古典電磁気学に対する姿勢は学者・教育者の鑑のようでした。通勤中の地下鉄でお目にかかる際はいつもジャクソンの第3版を手にしておられました。また、自分からはおっしゃられませんでしたが、なんと教科書の第8章355ページの脚注には、ボイヤー先生が直接ジャクソンに指摘したであろう注意事項が記載されています。私は量子電気力学 (QED) に興味があったので、一年の講義の最後のほうにボイヤー先生に直接、「QEDの古典極限として古典電磁気学を理解した方が分かり易いと思いますが、先生はなぜそこまで古典的なアプローチにこだわるのですか?」と今思えばとても生意気な質問をしたところ、"Because I believe it, Mr Abe." と誠実にお答えになられたのが印象に残っています。その時私は苦笑いするしかありませんでしたが、そんな信念をもっている奇特な先生に電磁気学を習えたことは本当にいい経験でした。
さて、場の量子論を使って空の青さを考えるナイア先生の解説に戻りましょう。今回は第3章の日本語訳になります。
3 ゲージ不変性、青い空と青い海
光子と大気中原子との散乱が$\om^4$-依存性を持つことから、空の青色を説明できる。太陽光の青色部分は高い振動数$\om$を持つのでより散乱されその結果、大気中に拡散される光となる。黄色部分のスペクトルはそれほど散乱されず、直射日光の中にとどまってるため、太陽は黄色く見える。夕方や早朝には太陽光が大気中を通過する距離が長くなるので、黄色いスペクトルも相当散乱される。そのため、赤色などの振動数の低いスペクトルが直接光にとどまり、赤焼けた日の出、日の入りとなる。これが大ざっぱな描像であるが、もちろん色々と微調整する必要がある。例えば、実際の大気は密度が常に一定であることは無く、分布密度は高度があがるにつれ薄まる。また、気象条件などによる散乱媒体の密度変位も重要である。しかしながら、決定的な要因は 散乱過程での$\om^4$-依存性であり、密度の統計的な揺らぎである。そして、これらは(低エネルギー)有効作用のゲージ不変性と統計分布の性質そのものに由来する。したがって、空を見上げた時に我々を楽しませてくれるあの "elevated thought"(高揚した想い)とはこのことであろう。つまり、我々は空を見てこう想えばばいいのだ―――「ゲージ不変性と密度揺らぎ!」であると。
宇宙から見た地球「ブルー・マーブル」 https://visibleearth.nasa.gov/view.php?id=57723 |
海の青さについては何か言えるだろうか?少量であれば透明でしかない水が、海として大量に集められるとあのように濃い青色に、我々の惑星が広大な宇宙空間の中で青白い一点 (pale blue dot) として現れるのは何故でしょうか?海が空を反射しているからでしょうか?海の深く濃い青色を見ればその可能性は少ないことが分かる。そのような効果があったとしても、せいぜい目立たない程度のものでしょう。というのも、宇宙から見た地球の画像(上図)は海から発せられる光が青色であることを明確に示しているからです。大陸の上には青みががった様子が認められないので、大気の影響は僅かしかないことも分かる。つまり、海の青い色は水の光吸収の性質から理解されるべき問題なのである。
水(重水でない)の吸収スペクトル http://www1.lsbu.ac.uk/water/water_vibrational_spectrum.html から引用 |
豊富に存在し、我々の体内成分のおよそ3分の2を占めているにもかかわらず、水は複雑な液体で、その性質については今でも調査・研究されている [1,2]。可視光領域の波長付近での水の吸収スペクトルを上図に示す。可視光領域のより詳しい吸収スペクトルは下図の通りである。
可視光波長付近の水の吸収スペクトル [3] 図は https://www.osapublishing.org/ao/abstract.cfm?uri=ao-36-33-8710 から引用 |
赤外領域とラジオ波領域では吸収率が高く、可視光領域に行くに従い吸収率は下がっていく。(図に示されていないラジオ波領域より波長の長い電波領域でも吸収率は高い。この事実は水中での潜水艦探知にレーダーが使われない理由の一つである。)可視光領域では、赤方のスペクトルが青方のものに比べて強く吸収される。その結果、水中での光の伝播が短距離であれば吸収の効果は無視でき(水は透明に見え)るものの、長距離になるに従い主に青色スペクトルの光だけが生き残る。とはいえ、我々が見ている海からの光は海中を伝播する光ではない。よって、水の中で青い波長が生き残るとはいえ、それらは自ら飛び出て我々の目に届かなければならない。これにはもちろん多くの散乱過程が関与する。したがって、最終的には、海の青さを説明するには散乱を考える必要があるが、空の青さを説明するのと同じ理由付けは直接的にはできない。
参考文献
1. H. Buiteveld, J. H. M. Hakvoort, and M. Donze, The optical properties of pure water, in Ocean Optics XII, J. S. Jaffe, ed., Proc. SPIE 2258, 174183 (1994); F. M. Sogandares and E. S. Fry, Appl. Opt. 36, 8699 (1997).
2. 様々な形態の水の色についての素晴らしい文献として、C.F. Bohren, J. Opt. Soc. Amer. 73, 1646 (1983). がある。
3. R.M. Pope and E.S. Fry, Absorption spectrum (380-700 nm) of pure water. II. Integrating cavity measurements, Appl. Opt.36, 8710 (1997).
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