2022-10-30

オリックス26年ぶりの日本シリーズ優勝

 去年に引き続きヤクルト対オリックスとなった今年の日本シリーズ。第7戦までもつれる接戦でした。初めの3試合でヤクルト2勝1分けとなった時点でそのまま行きそうな流れでしたが、4戦目からのまさかの4連勝。オリックス投手陣の層の厚さを感じました。特に若いリリーフ陣の勢いには圧倒されました。今すぐにでもメジャーで通用しそうでした。

先程終了した最終戦ではヤクルト内外野のエラーが絡んで勿体なかったです。第6戦以前でもマクガフのバント処理エラーが大事な所で出ていたので、私の印象ではヤクルトは外国人投手時のバント処理の連携ミスで負けた感じでした。ファーストのオスナの守備はとても良かっただけに観ていて歯がゆかったです。

とはいえ、私は神戸出身なのでもちろんオリックスも応援していました。第6戦の吉田選手のサヨナラHRにはしびれました。杉本選手もヤクルトバッテリーのいやらしい配球にしっかり対応していたのが良かったです。一方、ヤクルトの山田、村上両選手はオリックスバッテリーに翻弄された感じでした。フォアボールは選べるのだけど後半戦はなかなか長打が出なくてもどかしかったです。オスナが当たっていただけにクリーンナップでもう少し打点が稼げたら一気にヤクルトが行けたのでしょうけど、やはりオリックスの投手陣が集中していたということでしょう。オリックス選手・ファンの皆様、優勝おめでとう!

26年前と言えば1996年、私は大学2年でまだ野球やっていたし観ていた頃でした。イチロー・本西・田口の鉄壁の外野陣は今でも覚えています。NYのシェイ・スタジアムでも見かけたあの田口選手が今シリーズで1塁コーチャーに入っているのを見つけたときは感慨深かったです。西海岸でシニアゴルフの大会に出たりして悠々自適の長谷川滋利さんも今年から副GMになっていたとのこと。引退したイチロー選手は現場に復帰しないのでしょうか、解説聞きたかったな。

2022-10-09

燃える闘魂アントニオ猪木 感動をありがとう!

まだ幼稚園の頃だったでしょうか本屋で「プロレス大百科」という分厚い本を買ってもらったのですが、その表紙のど真ん中にアントニオ猪木が載っていました。当時の私にとっては、超合金、スーパーカーなど夢中になったおもちゃと同列にプロレスラーを見ていた気がします。小学校2,3年生の頃、夕方一人で家に居る際にプロレス中継が放送されていたので良く見ていました。当時、1984年ごろプロレスが大好きでした。馬場、猪木、鶴田、ハンセン、ブルーザーブロディ、ミルマスカラス、タイガーマスク、タイガージェットシン、ザグレートカブキ、アンドレザジャイアント、テリーファンク、ドリーファンクジュニア兄弟、天龍源一郎、上田馬之助、キラーカーン、ハルクホーガン、アブドーラザブッチャーなどなど。大好き過ぎて学校で「プロレス係」をプロレス好きな後藤君(ゴロン)と作って、その活動の一環としてプロレス日記(テレビで見たプロレスの試合をレポートするだけのもの)を付けていました。1学期のみで解散してしまいましたが、その理由はクラスメイトの誰かにプロレスは八百長やでと言われたことがキッカケでした。私としては当然、八百長な訳が無いと思っていましたが色々リサーチするとどうやら勝ち負けが事前に決まっているらしいということがほぼ公然の事実のようでした。この時、人生で初めて「大人の事情」というものが存在することを知って愕然となりとてもショックでした。あの時の落胆というか裏切られた気持ちは忘れられません。でも、リングの試合を見ていた私にはとても八百長には見えなかったなぁ。とにかくプロレスに(勝手に)裏切られた気持ちが強かったのであれ以降、真剣にプロレスを見ることは無くなってしまいました。その後は八百長要素のない競技、特に高校野球、プロ野球、高校サッカー、Jリーグ、サッカーワールドカップに興味が移りました。

とはいえ、あのプロレスが大好きだった頃の記憶は今でも鮮明に覚えています。当時のレスラーはテレビの中だけの架空のスーパーヒーローのようでした。(中学で東京に引っ越してきたとき同級生に鶴田君がいて伯父さんがジャンボ鶴田だと伝え聞いた時には、あのジャンボ鶴田が当然ながら実在するんだと気付いたと共におとなしく穏やかな鶴田君との印象差もありとても驚きました。)なかでもアントニオ猪木は象徴的な存在でその後、スポーツ平和党から参議院議員になりイラクの人質解放の際に大活躍したときに名実ともに国民的スーパーヒーローになりましたね。