前回に引き続き、南部-ゴールドストン粒子の低エネルギー有効ラグランジアンについて考える。この有効ラグランジアンに関する定理を以下に再掲する。
連続的な対称性 $G$ が部分群 $H \subset G$ に自発的に破れる場合($H$ は基底状態の期待値 $\bra \Om | \phi | \Om \ket$ の小群に当たる)、次の2つが成り立つ。
1.${\rm dim} G - {\rm dim} H$ 個の質量ゼロの粒子(あるいは質量ギャップがゼロの励起)が存在する。これらは南部-ゴールドストン粒子(あるいは南部-ゴールドストン・モード)と呼ばれる。2.南部-ゴールドストン粒子の低エネルギー動力学は有効ハミルトニアン\[ \H_{\rm eff} \, = \, \frac{f^2}{2} \int d^3 x \left( G_{\imath \jmath} (\th ) \dot{\th}^\imath \dot{\th}^\jmath + G_{\imath \jmath} (\th ) \nabla \th^\imath \nabla \th^\jmath \right) \tag{14.101} \]で与えられる。ただし、$ G_{\imath \jmath} ( \th ) d \th^\imath d \th^\jmath$ はコセット空間 $G/H$ の計量を表す。$\H_{\rm eff}$ に対応する有効ラグランジアンは\[\begin{eqnarray} \L_{\rm eff} & = & \frac{f^2}{2} \left( G_{\imath \jmath} (\th ) \dot{\th}^\imath \dot{\th}^\jmath - G_{\imath \jmath} (\th ) \nabla \th^\imath \nabla \th^\jmath \right) \nonumber \\ &=& \frac{f^2}{2} \, G_{\imath \jmath} (\th ) \, \d_\mu \th^\imath \d_\mu \th^\jmath \tag{14.102} \end{eqnarray}\]と表せる。ただし、係数 $f$ は古典的な基底状態の解、つまり元々のハミルトニアンの極小化から求まる。
有効ラグランジアンの例として前回は強磁性体のハイゼンベルク模型を考えた。今回はハドロン・スペクトルの章で言及したカイラル対称性の自発的破れについて考える。このトピックについては以前のQCDノート (note 11, note 17) でも取り上げた。より詳しくはこれらのノートも参考にされたい。
例2: QCDのカイラル対称性の自発的破れと擬スカラーメソン
これまで、自発的に破れる対称性として元々のハミルトニアンあるいはラグランジアンにおいて完全に保たれる対称性を考えてきた。しかし、物理モデルでは対称性が完全ではないものの、対象となるエネルギーレベルでは十分良い近似とみなせる場合がある。例えば、5.1節で議論したように、量子色力学 (QCD) の軽クォーク部分のラグランジアン
\[ \L (Q) = \overline{Q} \, i \ga \cdot ( \d - i g A ) \, Q + \overline{Q} \left( \begin{array}{c c c} m_u & 0 & 0 \\ 0 & m_d & 0 \\ 0 & 0 & m_s \\ \end{array} \right) Q \tag{5.1} \]
はフレーバー・カイラル対称性 $U(3)_L \times U(3)_R$ をもつ。このカイラル対称性は質量項により自明に破れるので完全ではない。ここで、軽クォークの質量はパイオン質量 $m_\pi \approx 140$ MeV 以下であり、およそ 1 GeV のQCDスケールでは無視できる。言い換えると、クォーク質量と電弱相互作用が無視できるエネルギーレベルにおいてラグランジアン(5.1)はカイラル対称性をもつ。QCDスケールにおいてカイラル対称性は強い相互作用の効果により自発的に破れる。5.1節で見たように、軽クォークのカイラル変換は
\[ Q_L ' = U_L \, Q_L \, , ~~~~~~ Q_R ' = U_R \, Q_R \tag{14.106} \]
と表せる。ただし、$Q_L = {\half} (1 + \gamma_5 ) Q$, $Q_R = {\half}(1 - \gamma_5 ) Q$ である。また、軽クォーク演算子 $Q$, $\overline{Q}$ は
\[ Q = \left( \begin{array}{c} u \\ d \\ s \\ \end{array} \right) , ~~~~~ \overline{Q} = \left( \, \bar{u} ~~ \bar{d} ~~ \bar{s} \, \right) \tag{5.2} \]
と定義されることを思い出そう。$U_{L}$, $U_{R}$ はそれぞれ$U(3)_{L}$, $U(3)_{R}$ 群の $3 \times 3$ 行列要素でありカイラル成分 $Q_L$, $Q_R$ は独立に変換する。自発的対称性の破れの秩序変数(ハイゼンベルク模型の磁化に対応するもの)は複合演算子 $\overline{Q} Q$ の基底状態における期待値
\[ \bra \Om | \overline{Q} Q | \Om \ket \, = \, \bra \Om | ( \bar{u} u + \bar{d} d + \bar{s} s ) | \Om \ket \tag{14.107} \]
で与えられる。この秩序変数はクォーク凝縮と呼ばれる。このクォーク凝縮がゼロでないこと、すなわち、$\bra \Om | \overline{Q} Q | \Om \ket \ne 0$ となることは実験的な事実である。(この現象は強い相互作用の閉じ込め効果から生じると考察できるが、理論的にはまだ証明されていない。)よって、14.1節の定義からQCDエネルギー・スケールにおいてカイラル対称性は自発的に破れることが分かる。
カイラル演算子 $Q_L$, $Q_R$ を用いると複合演算子 $\overline{Q} Q$ は
\[ \overline{Q} Q \, = \, \overline{Q}_L Q_R \, + \, \overline{Q}_R Q_L \tag{14.108} \]
と表せる。カイラル変換のもとでこれは
\[ \overline{Q} ' Q ' \, = \, \overline{Q}_L U_L^\dag U_R Q_R \, + \, \overline{Q}_R U_R^\dag U_L Q_L \tag{14.109} \]
と変換する。ただし、式(14.106)および $\overline{Q}_L ' = \overline{Q}_L U_L^\dag$, $\overline{Q}_R ' = \overline{Q}_R U_R^\dag$ を用いた。明らかに、クォーク凝縮(14.107)はカイラル対称性の $U_L = U_R$ 部分群による変換のもとで不変である。つまり、基底状態の期待値(14.107)の等方部分群はこの $U_L = U_R$ 部分群で与えられる。ここで、$U_V = U_L = U_R $ を $U(3)_V$ 群の $3 \times 3$ 行列要素とする。この $U(3)_V$ は
\[ Q \rightarrow Q^{\prime} = U Q \, , ~~~ \overline{Q} \rightarrow \overline{Q}^{\prime} = \overline{Q} U^\dag \tag{5.3} \]
のユニタリー行列 $U$ すなわち軽クォーク $( u, s, d )$ の間のフレーバー対称性に対応する。このフレーバー対称性は軽クォークの質量が同じである場合に保存する。$U(1)$ 部分を分離すると
\[ U(3)_V \, \sim \, SU(3)_V \times U(1)_V \tag{14.110} \]
と書ける。ただし、$SU(3)_V$ はゲルマンとネーマンにより独立に提唱されたクォーク模型の $SU(3)$ 群を表す。定義より、$U(1)_V$ 電荷は $Q_L$, $Q_R$ 共に同一であり、$Q$ の電荷に対応する。クォークの電荷は $\theta_V / 3$ で表せる分数で与えられることに注意しよう。この $U(1)_V$ 群はバリオン数を与える。同様に、カイラル対称性の $U(1)$ 部分を分離すると
\[\begin{eqnarray} U_{L} (3) \times U_{R} (3) & \sim & SU(3)_L \times SU(3)_R \times U(1)_L \times U(1)_R \nonumber \\ & \sim & SU(3)_L \times SU(3)_R \times U(1)_V \times U(1)_A \tag{14.111} \end{eqnarray}\]
となる。ここで、$U(1)_V$, $U(1)_A$ は $U(1)_L$, $U(1)_R$ の線形結合として求まるが、その組み合わせは $U(1)_A$ 電荷が $Q_L$ と $Q_R$ に対してそれぞれ反対の符号を持つように選ばれる。すなわち、$U(1)_A$ パリティのもとで奇であり対称性は軸性ベクトル型である。一方、$U(1)_V$ はパリティのもとで偶であり対称性はベクトル型である。$U(1)_L$, $U(1)_R$ ではなく $U(1)_V$, $U(1)_A$ を用いる理由の1つは、QCDを含むベクトル型のゲージ理論においてベクトル型の対称性は自発的に破れないというヴァッファとウィッテンによる定理の存在である。これより、カイラル対称性の自発的破れは $SU(3)_V \times U(1)_V$ よりも小さな部分群に破れることはない。また、$U(1)_A$ 対称性はグルーオン場の量子アノマリーによって自明的に破れる。よって、フレーバー・カイラル対称性の自発的な破れに関わるコセット空間は
\[ \frac{SU (3)_{L} \times SU (3)_{R} \times U(1)_V }{SU (3)_{V} \times U(1)_V} \sim SU(3) \tag{14.112} \]
と表せる。
$U(1)_V$ 部分を省略するとフレーバー・カイラル対称性の自発的な破れは
\[ G = SU_{L} (3) \times SU_{R} (3) \, \longrightarrow \, H= SU_{V} (3) \tag{14.113} \]
と書ける。この場合、南部-ゴールドストン粒子の低エネルギー有効ラグランジアン(14.102)は、$SU(3)$ 群のカルタン-キリング計量
\[ ds^2 \, = \, - 2 \, \Tr \left( U^\dag d U \, U^\dag d U \right) \tag{14.114} \]
を用いて表せる。ただし、$U = \exp ( i t^a \phi^a )$ $(a = 1,2, \cdots , 8 )$ は $SU(3)$ の行列要素である。生成子 $t^a$ はゲルマン行列 $\la^a$ を用いて $t^a = \frac{\la^a}{2}$ と表せる。元々のカイラル対称性は完全でないので、ここでの南部-ゴールドストン粒子は実際には(QCDエネルギー・スケールでは無視できる)質量を持つことに注意しよう。この意味で、これらのボース粒子は擬・南部-ゴールドストン粒子と呼ばれる。
破れない対称性はパリティが奇なので、これらの擬・南部-ゴールドストン粒子は擬スカラー8重項メソン $\pi^{\pm}$, $\pi^0$, $K^0$, $\overline{K^0}$, $K^+$, $K^-$, $\eta$ を記述できる。これらの8重項メソンの質量は5.4節で紹介したように下表の通りである。
\[ \begin{array}{|c | c | c| c| c| c |} \hline &\mbox{スピン-0}&\mbox{質量}& \mbox{スピン-1}& \mbox{質量} & \mbox{クォーク構成}\\ && \mbox{(MeV)} && \mbox{(MeV)} &\\ \hline \mbox{1重項}& \eta^\prime & 958& \omega &783& (u {\bar u} + d {\bar d} + s {\bar s})/\sqrt{3} \\ \hline & \pi^0 & 135& \rho^0 &775& (u {\bar u} - d {\bar d} )/\sqrt{2} \\ & \pi^+ &140& \rho^+ &775& u {\bar d} \\ & \pi^- &140& \rho^- &775& d {\bar u} \\ \mbox{8重項} & K^+ &494& K^{*+} &892& u {\bar s} \\ & K^- &494& K^{*-} &892& s {\bar u} \\ & K^0 &498& K^{*0} &896& d {\bar s} \\ & {\bar K}^0 &498& {\bar K}^{*0} &896& s {\bar d} \\ & \eta &548& \varphi &1019& ( u {\bar u} + d {\bar d} - 2 \,s {\bar s})/\sqrt{6} \\ \hline \end{array} \]
パイ中間子の質量 (135-140 MeV) は約1GeV のQCDエネルギー・スケールに比べて十分小さいことが確認できる。その他の擬スカラー・メソンはストレンジ・クォーク $(m_s \gg m_u \approx m_d)$ を構成要素に持つのでより重い質量 (494-548 MeV) をもつ。最重量のメソン $\eta$ (548 MeV) は実際には $SU(3)$ 一重項の擬スカラー・メソンとの混合による寄与を含む。これは、擬・南部-ゴールドストン粒子 $\phi^8$ と $U(1)$ 部分の擬・南部-ゴールドストン粒子 $\phi^0$ との混合から生じる。もう一方の混合成分は $\eta^\prime$ (958 MeV) で与えられる。$\eta$ と $\eta^\prime$ の質量差は $U(1)_A$ 問題と呼ばれる。前述の通り、この問題はグルーオン場による量子アノマリーによって説明できるがここでは議論しない。($U(1)_A$ 対称性は量子アノマリーにより離散的な部分群 ${\bf Z}_6$ に明示的に破れることが知られている。)有効ラグランジアン(14.102)を $SU(3)$ 計量(14.114)に適用すると、擬スカラー・8重項メソンの低エネルギー有効ラグランジアン
\[\begin{eqnarray} \L_{\rm eff} & = & - f^{2} \, \Tr ( U^\dag \d_\mu U \, U^\dag \d_\mu U ) \, = \, f^{2} \, \Tr ( \d_\mu U^\dag \d_\mu U ) \nonumber \\ &=& \frac{f^2}{2} \, \d_\mu \phi^a \, \d_\mu \phi^a \, + \, \O (\phi^3 ) \tag{14.115} \end{eqnarray}\]
を構成できる。ただし、$f$ は定数であり、高次の項 $\O ( \phi^3 )$ は南部-ゴールドストン粒子間の相互作用を表す。