2.1 水素原子
水素原子の問題の解、つまり水素原子のエネルギー・スペクトルの量子力学的導出は、よく知られているシュレーディンガー方程式による解が得られる以前、1926年にパウリによって初めて与えれれた。この問題は数学的にはケプラー問題、つまり惑星軌道の問題と同じである。どちらの問題も同じ形のハミルトニアン
H=p22m−κr
を持つ。ただし、→p (p2=→p2) は惑星(あるいは電子)の運動量である。 r は太陽(あるいは原子核)からの動径距離、mは惑星(あるいは電子)の質量を表す。κ はそれぞれの場合について
κ={Ze2 クーロンポテンシャルGMm 重力ポテンシャル
と表せる。もちろんこれは理想化された水素原子であり、実際の原子では、原子核の運動、相対論的補正、スピン軌道相互作用、さらには場の量子論から計算できる電磁波の放射補正など様々な補正を考慮する必要がある。しかしながら、(2.1)は非常に良い第一近似を与える。
古典力学ではケプラー問題は可解である。これに関して、ベルトランの定理という興味深い定理がある。これは「3次元空間において、すべての束縛軌道が閉曲線となる中心力ポテンシャルは調和振動子ポテンシャル V=12ωr2 とクーロン(あるいは重力)ポテンシャルの2つに限られる。」という定理である。すでに調和振動子については考察したので、次のステップとして水素原子を取り上げるのはこの意味でも自然なことである。
ハミルトニアン(2.1)は明らかに球対称(回転不変)であるので、角運動量Li (i=1,2,3) が保存する。さらに、惑星軌道についての古典的なケプラー問題では軌道の歳差運動は生じない。これは軌道平面上で惑星運行の軌道配置が保存すること、あるいは、原点(楕円軌道の焦点)から近日点 (perihelion) へ向かうベクトルが保存することを意味する。このベクトルはラプラスによって既知であったが、ルンゲとレンツによってより詳しく解析されたため、ルンゲ-レンツ・ベクトル (Runge-Lenz vector)と呼ばれる。ルンゲ-レンツ・ベクトル Ri と角運動量ベクトル Li はこの問題の保存ベクトルである。(もちろん、ハミルトニアン H もスカラー保存量である。)古典ケプラー問題におけるこれらのベクトルを図示すると次のようになる。
古典的なルンゲ-レンツ・ベクトルは通常
Ri=1mϵijkpjLk−κˆxi
と定義される。ここで、運動量piと座標xiは物理系の基本的な相空間変数である。角運動量 Li は Li=ϵijkxjpk と定義され、ˆxi は単位ベクトル ˆxi=xir を表す。一般に、pi と Li は互いに交換しないので、式(2.3)の Ri はエルミートでない。よって、式(2.3)の pj と Lk を対称化させて、量子的なルンゲ-レンツ・ベクトル
Ri=12mϵijk(pjLk+Lkpj)−κˆxi
を定義する。これは明らかにエルミートである。
以下では、Li, Ri, H が成す代数を考える。Li の定義と交換関係 [xi,pj]=iδij から
[Li,H]=0,[Li,xj]=iϵijkxk,[Li,pj]=iϵijkpk
が分かる。最後の2つの式からxiとpiは回転のもとでベクトルとして変換するとみなせる。関係式 ϵijkϵkjl=−ϵijkϵljk=−2δil から定義式(2.4)は
Ri=12mϵijk(pjLk+iϵkjlpl+pjLk)−κˆxi=1mϵijkpjLk−impi−κˆxi
と変形できる。相変数とハミルトニアンの交換関係は
[pi,H]=[−i∂∂xi,−κr]=iκ∂∂xi1r=−iκr2xir=−iκˆxir2,[ˆxi,H]=[xir,p22m]=[∇22m,xir]
と計算できる。(2.10)を計算するには、次の関係式が必要となる。
∇j(xir)=δijr−xir2xjr=δij−ˆxiˆxjr,∇j∇j(xir)=−1r2(δij−ˆxiˆxj)ˆxj−1rδij−ˆxiˆxjrˆxj−1rˆxiδjj−ˆxjˆxjr=−2ˆxir2
ただし、δjj=3, ˆxjˆxj=1を用いた。これより(2.10)は
[ˆxi,H]ψ=∇22m(xirψ)−xir∇2ψ2m=∇j2m[(∇jˆxi)ψ+ˆxi∇jψ]−ˆxi∇22mψ=−1mr2ˆxiψ+1m(∇jˆxi)∇jψ=−ˆximr2ψ+1mδij−ˆxiˆxjripjψ
と計算できる。ただし、ここでは便宜上、波動関数 ψ を入れた。よって、交換関係(2.10)は
[ˆxi,H]=−ˆximr2+imr(pi−ˆxiˆx⋅p)
と書ける。これらの結果より、ルンゲ-レンツ・ベクトル Ri とハミルトニアン H の交換関係を計算できる。
[Ri,H]=1mϵijk[pj,H]Lk−im[pi,H]−κ[ˆxi,H]=−1mϵijk(−iκr2ˆxj)Lk−im(−iκr2ˆxi)+κmr2ˆxi−iκmr(pi−ˆxiˆx⋅p)=−iκmr2ϵijkˆxjϵkmnxmpn−iκmr(pi−ˆxiˆx⋅p)=−iκmr2ˆxjxmpn(δimδjn−δinδjm)−iκmr(pi−ˆxiˆx⋅p)=−iκmr2(ˆxjxipj−ˆxjxjpi)−iκmr(pi−ˆxiˆx⋅p)=0
よって、ルンゲ-レンツ・ベクトルとハミルトニアンが可換であることが直接確認できた。
[Ri,H]=[Li,H]=0,[Li,Lj]=iϵijkLk
である。また(2.6)-(2.8)を用いると、
[Li,Rj]=iϵijkRk
が分かる。これは直接示すことが出来るが、(2.6), (2.7)と同様にRiがベクトルであることから(2.17)が成り立つことを議論できる。すべての代数を得るには、(2.16)に加えてもう一つの交換関係 [Ri,Rj] を計算する必要がある。この量は添え字 i,j について反対称なので、ϵijk に比例する。よって、
[Ri,Rj]=iϵijkΛk
と置ける。ただし、Λkはあるエルミート演算子である。上式から iΛk=ϵijkRiRj と書ける。以下では、式(2.8)を用いて iΛk=ϵijkRiRj を計算する。
ϵijkRi=ϵijk(1mϵiabpaLb−impi−κˆxi)=1m(pjLk−pkLj)−imϵijkpi−κϵijkˆxiiΛk=ϵijkRiRj=(1m(pjLk−pkLj)−imϵijkpi−κϵijkˆxi)×(1mϵjabpaLb−impj−κˆxj)
ϵijkpipj, ϵijkˆxiˆxj などの項は消えるので(2.19)には7つの項が含まれる。これらを一つ一つ計算していくと次のようになる。
(Term1)=1m2(pjLk−pkLj)ϵjabpaLb=1m2(pjLkϵjabpaLb−pkLjϵjabpaLb)=1m2[pjϵjab(iϵkampm+paLk)Lb−pkϵjab(iϵjampm+paLj)Lb]=1m2[ipjpmLb(δjkδbm−δjmδbk) −2ipkpbLb⏟0+12pkpaϵajb(LjLb−LbLj)]=−im2p2Lk+12m2pkpaϵajbiϵjbmLm⏟0=−im2p2Lk(Term2)=−im2(pjLk−pkLj)pj=−im2pjLkpj=−im2pj(pjLk+iϵkjmpm)=−im2p2Lk(Term3)=−κm(pjLk−pkLj)ˆxj=−κmpjLkˆxj=−κmpj(ˆxjLk+iϵkjmˆxm)=−κmpjˆxjLk−iκmϵkjm(ˆxmpj−i∂∂xjxmr)=−κmp⋅ˆxLk+iκmrLk(Term4)=−imϵijkpiϵjabpaLb=impi(piLk−pkLi)=imp2Lk(Term5)=iκmϵijkpiˆxj=iκmϵijk(ˆxjpi−i∂∂xixjr)=−iκmrLk(Term6)=−κmϵijkˆxiϵjabpaLb=κmˆxi(piLk−pkLi)=κmˆx⋅pLk−κmrxipkLi⏟iδikLi=κmˆx⋅pLk−iκmrLk(Term7)=iκmϵijkˆxipj=iκmrLk
(2.20)から(2.26)の和をとると、(2.19)は次のように計算できる。
iΛk=−ip2m2Lk+κm(ˆx⋅p−p⋅ˆx)Lk=−ip2m2Lk+2iκmrLk=−i2m(p22m−κr)Lk=−i2mHLk
ただし、関係式
ˆx⋅p−p⋅ˆx=xirpi−pixir=xirpi−i∂∂xi(xir)−xirpi=(3r−xir2xir)=i2r
を用いた。以上より、最終的に Λk=−2HmLk を得ることができた。
まとめ
ケプラー問題に現れる観測量(演算子)の代数は次のようにまとめられる。
{ [Li,Lj]=iϵijkLk[Li,Rj]=iϵijkRk[Ri,Rj]=iϵijk(−2Hm)Lk[Li,H]=[Ri,H]=0
この代数の分析を進めるにあたりハミルトニアンHの符号が重要となる。水素原子の電子の状態で表すと、H≤0 は束縛状態に対応し、H>0 は散乱状態に対応する。以下では、これら2つの場合について個別に分析する。
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