2024-02-12

5. クォークとハドロン・スペクトル vol.1

5.1 ハドロンの対称性


今日我々が知っている基本粒子にはクォークレプトンゲージ粒子ヒッグス粒子の4つのタイプがある。クォークとレプトンはフェルミ粒子であり、すべての物質の素(もと)となる基本的な構成要素とみなせる。ゲージ粒子は力(相互作用)を伝達する素粒子である。これらの粒子はクォークやレプトンを結合させる力を供給するのに必要であり、そのおかげで複合粒子や束縛状態が構成される。最後に、ヒッグス粒子はいくつかのゲージ粒子とクォーク、レプトンに質量を与えるのに必要となる。これまでの所6つの種類(フレーバーとも呼ばれる)のクォークと6種類のレプトンが存在することが知られている。クォークの6フレーバーはアップ $(u)$、ダウン $(d)$、ストレンジ $(s )$、チャーム $(c )$、トップ $( t)$、ボトム $( b )$ と呼ばれる。クォークの束縛状態をハドロンと呼ぶ。これらは、強い核力(色力学の力とも言う)の影響下にあり、強い力で相互作用しあう粒子である。我々が実際に実験室で観測するのはこれらのハドロンである。この章ではハドロンのスペクトルを解析する。ハドロンには2つのタイプがある。1つはメソン(中間子)と呼ばれ、クォークと反クォークで構成される $( Q \overline{Q} )$。もう一方は、バリオンと呼ばれ、3つのクォークで構成される $( QQQ )$。陽子 ($uud$の束縛状態) と中性子 $(udd)$ はバリオンの例である。Particle Data Group2023年のデータによるとクォークの質量は $MeV$ の単位で $m_u \approx 2.16$, $m_d \approx 4.67$, $m_s \approx 93.4$, $m_c \approx 1270$, $m_b \approx 4180$, $m_t \approx 173000$ と測定されている。

 重いクォーク $(c, b, t)$ による束縛状態の構成において非相対論的な取り扱いは良い第一近似となる。(補正項は適宜追加されるとする。)これは、メソン質量で測定されるように、そのような束縛状態の結合エネルギーは重いクォークの質量に比べて小さいためである。よって、重クォークで構成されるハドロンのスペクトルは簡単なシュレーディンガー方程式で解析できる。また、クォーク間の相互作用も非相対論的なポテンシャルで近似できる。

 一方、軽いクォーク $(u, d, s)$ で構成されるハドロンでは非相対論的な手法は適用できない。陽子の質量 $(938~MeV)$ と陽子を構成するアップ、ダウン・クォークの質量を比べれば明らかなように、結合エネルギーは軽クォークの質量よりも十分に大きい。つまり、これらのクォークは極度に相対論的な運動をする。相対論的な動力学が重要であると同時に、古典的で非相対論的なポテンシャルの概念も崩れる。実際、軽クォークの実粒子と仮想粒子の海を生成するのに十分なエネルギーがあるので、1粒子のみの動力学を考えるのは適切でない。よって、軽クォークで構成されるハドロンのスペクトルを解析するには何か別の手法が必要となる。1つの有望な手法として高速計算機を利用した数値シミュレーションがある。また別の手法として、ハドロンの対称性を利用するものがある。この章では後者の手法について議論する。

 素粒子物理学の標準模型によると、クォークは電弱対称性の自発的な対称性の破れによって質量を獲得する。場の理論によって記述されるこの枠組みはヒッグス機構と呼ばれる。対称性を用いたハドロンのスペクトル解析では、ヒッグス機構の詳細は必要ない。ここで重要となるのは、電弱対称性が破れる電弱スケール $246~GeV$ よりも十分に低いエネルギー・レベルにおいて、クォークの有効ラグランジアンを(質量項を含めて)書き出すことができることである。このとき、軽いクォークの有効ラグランジアンは
\[ \L (Q) = \overline{Q} \,  i \ga \cdot ( \d - i g A ) \, Q + \overline{Q} \left( \begin{array}{c c c} m_u & 0 & 0  \\ 0 & m_d & 0  \\ 0 & 0 & m_s \\ \end{array} \right) Q \tag{5.1} \]
と表せる。ただし、$Q$, $\overline{Q}$は
\[ Q = \left( \begin{array}{c} u \\ d \\ s \\ \end{array} \right)  , ~~ \overline{Q} = \left( \, \bar{u} ~~ \bar{d} ~~ \bar{s} \, \right) \tag{5.2} \]
と定義される。式(5.1)の因子 $\ga \cdot ( \d - i g A)$ を明示的に書くと $\ga^\mu (\d_\mu - ig t^a A^{a}_{\mu})$ となる。ただし、$\mu = 0,1,2,3$ は時空間の添え字であり、$t^a$ $( a = 1,2, \cdots , 8 )$ はカラー行列($SU(3)$ 群の生成子)である。(各種のクォークは3つの値(例えば、1, 2, 3)をとるカラーの添え字をもつが、ここでは省略した。実際には、$u$ は $u^i$ $( i= 1, 2, 3 )$ などと表せる。また、$\{t^a\}$ は8つの $3\times 3$ 行列を表し、これらはリー代数である $SU(3)$ 代数の基底を成す。これらの行列はクォークのカラーの添え字に作用する。この $SU(3)$ はカラーの対称群であり、保存される。ここでは、このカラーの添え字を省略する。以下に導入する $SU(3)$ はフレーバーに関する $SU(3)$ 対称性であり、このカラー対称群とは全く別物であることに注意しよう。)式(5.1)で $\ga^\mu$, $g$, $A_{\mu}^{a} $ はそれぞれガンマ行列、強い相互作用の結合定数、グルーオンの場を表す。ラグランジアンにはグルーオンに関わる項や電弱相互作用が含まれるが、それらの項はここでの対称性の議論には関与しない。

 つぎに、異なるフレーバーの $u$, $d$, $s$ を混合させる $Q$ のユニタリー変換について考える。これは、$3 \times 3$ ユニタリー行列を $Q$ に作用させることで実現できる。
\[ Q \rightarrow Q^{\prime} = U Q \, , ~~~ \overline{Q} \rightarrow \overline{Q}^{\prime} = \overline{Q} U^\dag  \tag{5.3} \]
$U^\dag U = 1$ であるので、(5.1)の第一項はこの変換のもとで不変である。変換はフレーバーを区別するものではない。つまり、この変換はフレーバーの添え字に関して恒等行列に比例する形で表せる。一方、第二項では、クォーク質量がそれぞれ異なるためこのフレーバーの$U(3)$対称性は破れる。前述の通り、これらの質量の大小関係は $m_s \gg m_u \approx m_d$ で与えられる。したがって、メソンとバリオンの質量分裂はこの対称性の破れを用いて解析できる。この考え方は1920年後半にベーテによって形式化された結晶場分裂にも認められる。

 もし全てのクォーク質量が無視できるなら、より大きな対称性 $U(3)_L \times U(3)_R$ が存在する。というのも、ディラック演算子 $\ga \cdot ( \d - i g A)$ が左右のカイラル成分に分かれるためである。つまり、質量項を無視すると、(5.1)は
\[   \L (Q) = \overline{Q} \,  i \ga \cdot ( \d - i g A ) \, Q   =  \overline{Q}_L \,  i \ga \cdot ( \d - i g A ) \, Q_L  + \overline{Q}_R \,  i \ga \cdot ( \d - i g A ) \, Q_R    \tag{5.4} \]
と書ける。ただし、$Q_L = {\half} (1 + \gamma_5 ) Q$, $Q_R = {\half}(1 - \gamma_5 ) Q$ である。よって、これらの成分に対して独立に $U(3)$ 変換を実行することができる。
\[    Q_L ' = U_L \, Q_L, \hskip .3in     Q_R ' = U_R \, Q_R     \tag{5.5} \]
ただし、(5.3)の $U$ は $U_L = U_R = U$ で定義される部分群の要素とみなす。このカイラル対称性は、実際には量子アノマリー(ベクトル・アノマリー、軸性ベクトル・アノマリー)との関係から、$SU(3)_L \times SU(3)_R \times U(1)$ となるが、ここでは議論しない。注目すべきカイラル対称性 $SU(3)_L \times SU(3)_R $ はグルーオンの強い相互作用により自発的に破れる。このカイラル対称性の破れのエネルギー・スケールはおよそ $1~GeV$ である。よって、ここで使用する有効ラグランジアンは移行運動量が $1~GeV$ よりも小さい物理過程で適用されなければならない。

 式(5.1)の質量項はカイラル対称性を破る。さらに、この質量項は対角化された部分群 $U_L = U_R = U$ の対称性も明示的に破る。よって、およそ $1~GeV$ のエネルギー・スケールでカイラル対称性の自発的な対称性の破れが起こり、さらに低エネルギー・スケール $m_s \lesssim  150~ MeV$ でクォーク質量とその質量差によって、$U(3)$ 対称性は明示的に破れる。これが軽いクォークの有効ラグランジアンがもつ対称性の描像である。次の節では、この対称性の構造が量子論においてどのように実現されるかについて議論する。

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