毎年健康診断代わりに7年連続で出場していた坂東市いわい将門ハーフマラソン大会ですが、今年は家族の集まりがあるため出場を取りやめることにしました。エントリー代がもったいないけど家族優先です(当然です、ハイ)。私は中学生の時は陸上部でしたが短距離が専門で長距離はいつも横っ腹が痛くなるので嫌いでした。高校で野球部の時も合宿などではなぜか長距離を延々と走らされた記憶がありますがその頃はタイムは気にせずマイペースで走ることを意識していました。大学・大学院のころもたまに気分転換に家の周りをジョギング程度で走っていました。子供が生まれてからはあまり走ることは無かったのですが、7年前に保育園のパパ友たちに誘われて市民駅伝に出ることになったためその練習を兼ねて(なぜか)ハーフマラソンを走ろうということでわざわざ都内から茨城県の坂東市にまで遠征しました。駅伝の区間は3キロ程度なので21キロも走る準備などしていなかったので初めて走った時は「撃沈」しました。初めの10キロぐらいは順調に周りについて行ったのですが、12キロあたりから脚が急に動かなくなりそれからは罰ゲームのようなレースでした。17キロあたりから歩く人がちらほらいたので、「歩いていいんだ~」と甘い誘いに乗っかるように給水時に少し歩くとその後走り出すのが大変でした。最後までホントしんどかったです。結局、初めてのハーフマラソンのタイムは 2:24:35 でした。
今思い出したのですがアメリカに居た頃、たしか2001年に一度ボストンマラソンを走りました。あの爆破事件があったのでいまでは無理でしょうが、当時はエントリーしなくても勝手に自分でゼッケンのような名札を付けて走ってもOKだったので、その時も誘われるままにぶっつけで走りました。何とか完走できたもののあれはハーフマラソンよりきつかったです。まだ若かったので初めの20キロぐらいは地元のランナーズクラブのTシャツを着た人について順調に走っていたのですが、途中から付いていけなくなり30キロあたりで足がつりそうになり、35キロぐらいの市街地の坂道でとうとうふくらはぎがつってしまいそれ以降はほぼ歩きながらで何とかゴールしました。タイムは5時間半ぐらいでした。その日のうちにNYにバスで帰りましたが地下鉄の階段がつらかったです。翌日右足親指の爪がはがれてしまいました。
7年前のハーフマラソンでもあの時の悪夢が再現されたようでつらかったですが、ゴールしてみると走って良かったと思うのは不思議です。翌年も懲りずに参加し、2:18:22 でした。次の年(平成25年)からはネットタイムも記録されるようになり 2:09:55 でした。この頃はペース配分を考えるようになり入りの7キロぐらいはジョグ程度で走って後半に痛い目を見ないように気を付けました。平成26年は練習不足のため 2:25:23 、翌年はさらに下がって 2:29:11 でした。この頃は駅伝の抽選に落ちて走るモチベーションがなかったりしたため入りのジョグペースから切り替えられずずるずるとそのままだらだら走りになっていました。
平成28年になると一緒に参加していたパパ友たちも都合が悪くなり1人で行くことになりそうだったので、妻と最近走っているという妻の友達とその娘さんを誘って参加しました。妻は見学、娘さんは3キロのレース、妻の友達と私でハーフに出ました。私はいつも通りゆっくり入って途中からペースアップする作戦でした。残り1キロぐらいで妻の友達がいたのでここで負けるとあとあとまで何を言われるかわからないので全力で抜き去りました!タイムは 2:08:04 の自己ベストでした。
翌年(去年、2017年)はレース用のシューズを購入し事前に少し走りこんでいたのですが、走っていると足の脛が痛くなる症状が引かず気になっていました。以前は走り方など特に気にはせず短距離走のようなフォアフット着地をしていたのですが、長い距離を走るのには向いていないということでピッチ走法気味にして着地も踵寄りにしたため、脚への負担が増したようです。ソールが薄くなったことと加齢により筋力が落ちたのも関係していると思います。調べてみるとシンスプリントという症状でした。走り出して初めは問題ないのですが5キロ以上走るとすねの周りが痛くなります。それでも、そんなの関係ね~と言って走ろうと思えば走れるので走っているとなんだか痛みが引いたような感じになるのですが、またしばらくするとさっきよりも痛くなってきます。それでも、、、(以下省略)ということを続けていたため、走っていなくても脛が痛い状態でした。本来なら休むべきでしたが、貧乏性のためせっかくエントリーしたのだからと出場することにしました。この年は一緒に出場する人もいなくて初めて一人で参加しました(泣)。案の定、10キロぐらいで足が痛み始めそれからはもうなんというか重症になる前にいつ辞めようかと考えながら走っていました。以前のように練習不足でつらいのではなくとにかく脚の脛の骨が痛いという感じです。友達と一緒に来ているわけでなし、ここで辞めても誰にもバレないし迷惑も掛からないと何度も思いましたが、今年は駅伝の抽選にも落ちているしテニスのシングルス大会もないのでとにかく走り切ればあとはもう年末まで休めばいいと思い直しだらだら走っていると、時間制限の車両が後ろに迫ってきました。残り1キロさすがにここで引っかかるわけにはいかないということで気力だけで何とか完走しました。タイムは自己ワーストの 2:30:09 でした。この年はなぜかFinishersメダルがもらえたので完走できてよかったです!だけど、その代償として一週間ぐらいは痛みで階段を降りるのが一苦労でした。昇る分には大丈夫だったのでやっぱり着地の衝撃が痛みの原因でした。その後、安静にしていたおかげで3か月後ぐらいには完治しました。
今思い出したのですがアメリカに居た頃、たしか2001年に一度ボストンマラソンを走りました。あの爆破事件があったのでいまでは無理でしょうが、当時はエントリーしなくても勝手に自分でゼッケンのような名札を付けて走ってもOKだったので、その時も誘われるままにぶっつけで走りました。何とか完走できたもののあれはハーフマラソンよりきつかったです。まだ若かったので初めの20キロぐらいは地元のランナーズクラブのTシャツを着た人について順調に走っていたのですが、途中から付いていけなくなり30キロあたりで足がつりそうになり、35キロぐらいの市街地の坂道でとうとうふくらはぎがつってしまいそれ以降はほぼ歩きながらで何とかゴールしました。タイムは5時間半ぐらいでした。その日のうちにNYにバスで帰りましたが地下鉄の階段がつらかったです。翌日右足親指の爪がはがれてしまいました。
7年前のハーフマラソンでもあの時の悪夢が再現されたようでつらかったですが、ゴールしてみると走って良かったと思うのは不思議です。翌年も懲りずに参加し、2:18:22 でした。次の年(平成25年)からはネットタイムも記録されるようになり 2:09:55 でした。この頃はペース配分を考えるようになり入りの7キロぐらいはジョグ程度で走って後半に痛い目を見ないように気を付けました。平成26年は練習不足のため 2:25:23 、翌年はさらに下がって 2:29:11 でした。この頃は駅伝の抽選に落ちて走るモチベーションがなかったりしたため入りのジョグペースから切り替えられずずるずるとそのままだらだら走りになっていました。
平成28年になると一緒に参加していたパパ友たちも都合が悪くなり1人で行くことになりそうだったので、妻と最近走っているという妻の友達とその娘さんを誘って参加しました。妻は見学、娘さんは3キロのレース、妻の友達と私でハーフに出ました。私はいつも通りゆっくり入って途中からペースアップする作戦でした。残り1キロぐらいで妻の友達がいたのでここで負けるとあとあとまで何を言われるかわからないので全力で抜き去りました!タイムは 2:08:04 の自己ベストでした。
翌年(去年、2017年)はレース用のシューズを購入し事前に少し走りこんでいたのですが、走っていると足の脛が痛くなる症状が引かず気になっていました。以前は走り方など特に気にはせず短距離走のようなフォアフット着地をしていたのですが、長い距離を走るのには向いていないということでピッチ走法気味にして着地も踵寄りにしたため、脚への負担が増したようです。ソールが薄くなったことと加齢により筋力が落ちたのも関係していると思います。調べてみるとシンスプリントという症状でした。走り出して初めは問題ないのですが5キロ以上走るとすねの周りが痛くなります。それでも、そんなの関係ね~と言って走ろうと思えば走れるので走っているとなんだか痛みが引いたような感じになるのですが、またしばらくするとさっきよりも痛くなってきます。それでも、、、(以下省略)ということを続けていたため、走っていなくても脛が痛い状態でした。本来なら休むべきでしたが、貧乏性のためせっかくエントリーしたのだからと出場することにしました。この年は一緒に出場する人もいなくて初めて一人で参加しました(泣)。案の定、10キロぐらいで足が痛み始めそれからはもうなんというか重症になる前にいつ辞めようかと考えながら走っていました。以前のように練習不足でつらいのではなくとにかく脚の脛の骨が痛いという感じです。友達と一緒に来ているわけでなし、ここで辞めても誰にもバレないし迷惑も掛からないと何度も思いましたが、今年は駅伝の抽選にも落ちているしテニスのシングルス大会もないのでとにかく走り切ればあとはもう年末まで休めばいいと思い直しだらだら走っていると、時間制限の車両が後ろに迫ってきました。残り1キロさすがにここで引っかかるわけにはいかないということで気力だけで何とか完走しました。タイムは自己ワーストの 2:30:09 でした。この年はなぜかFinishersメダルがもらえたので完走できてよかったです!だけど、その代償として一週間ぐらいは痛みで階段を降りるのが一苦労でした。昇る分には大丈夫だったのでやっぱり着地の衝撃が痛みの原因でした。その後、安静にしていたおかげで3か月後ぐらいには完治しました。
冒頭にも書いたように今年はハーフマラソンは走りません。ただ、駅伝の抽選には通ったので10月から少し走り始めています。(市民駅伝は例年11月の第4日曜に開催されます。)担当の区間距離は3.3キロ程度なのでぶっつけでも大丈夫でしょうが、やはりブレーキになると他のメンバーに迷惑がかかるので練習しています。そこで、去年のケガをぶり返さないようにフォームをフォアフット着地気味に戻しました。またシューズも練習用の底の厚いものにしています。この方が脚への負担も軽減されけがの予防になってくれるのではと期待しています。あまりタイムにはこだわらず趣味のテニスに活かせるような体力作りに励む予定です。
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