5.2 量子論の対称性表示
この節では量子論の対称性について再考する。量子論の対称性については既に1.4節で取り上げた。その際に出てきた定理1.3を再掲する。
定理1.3 量子系ハミルトニアンの固有状態は対称性変換の既約表現に分類される。それぞれの既約表現に含まれる(複数の)状態は縮退している。
ここではこの定理の理解をさらに深めていく。まず、ハミルトニアンを$H$とし、$U(\theta )$をユニタリー変換とする。このユニタリー変換のもとで理論が対称性をもつ場合、
\[ U^\dagger (\theta )\, H \, U(\theta ) = H ~~~~~\mbox{すなわち}~[ H, U(\theta ) ] = 0 \tag{5.6} \]
が成り立つ。パラメータ$\theta$は各変換をラベルする変数であり、連続的な対称性(回転変換や前節の軽クォークの有効ラグランジアンで議論した$SU(3)$変換など)では連続パラメータになり、パリティなど離散的な対称性の場合、パラメータは離散的になる。(パリティの場合、$U$は$U^2 =1$ ($U \ne 1$)を満たすので、$U$は1つしかない。)このような2つの変換$U (\theta )$, $U(\theta ')$を考えると、その積$U (\theta )\, U(\theta ')$も明らかに対称性変換を与える。
\[ \left[ U ( \theta )\, U( \theta ')\right]^\dagger \, H \, U ( \theta )\, U( \theta ') = U^\dagger ( \theta ')\, U^\dagger (\theta )\, H \, U ( \theta )\, U( \theta ') = U^\dagger ( \theta ')\, H \, U(\theta ') = H \tag{5.7} \]
つまり、2つの対称性の合成も対称性である。(ただし、対称性の合成は演算子の積で与えられる。)よって、いくつかの$U$の集合を考え、その積をとることで、最終的に積のもとで閉じた$U$の集合を得ることができる。この集合の全ての要素は$H$と交換する。恒等変換は恒等演算子として存在する。また、$U(\theta )$はユニタリーであるので、その逆元は$U^\dagger (\theta )$で与えられる。最後に、演算子の積は結合則に従う。よって、群を定義するすべての条件が満たされるので、$H$と可換なすべての$U$の集合は群を成す。物理系の対称性変換群$G$はこの群で指定される。
つぎに、ハミルトニアンの基底状態$\vert \psi_0\ket$に対称性変換群を作用させることを考える。この作用にはつぎの2つの可能性がある。
\[ \begin{array}{cl} 1. & U( \theta ) \, \vert \psi_0 \ket = 0 ~~~~ \mbox{ウィグナー表示} \\ 2. & U( \theta ) \, \vert \psi_0 \ket\ne 0 ~~~~ \mbox{ゴールドストン表示} \end{array} \tag{5.8} \]
まず、ウィグナー表示について考える。基底状態は対称性変換のもとで不変なので、励起状態について見ていく。ハミルトニアン$H$の固有状態を$\vert \alpha \ket$で表し、その固有値を$E_\alpha$とする。
\[ H \, \vert \alpha \ket = E_\alpha \, \vert \alpha \ket \tag{5.9} \]
$U(\theta )$は$H$と可換なので
\[ H\, U(\theta ) \vert \alpha \ket = E_\alpha \, U(\theta ) \vert \alpha \ket \tag{5.10} \]
となる。よって、$U(\theta ) \vert \alpha \ket$も同じ固有値を持つ$H$の固有状態である。つまり、$U(\theta ) \vert \alpha \ket$は$\vert \alpha \ket$と縮退している。対称性変換群$G$のすべての要素$U(\theta )$を考えると、対称性変換によって連結される多数の縮退状態が得られる。これらの状態$U(\theta ) \vert \alpha \ket$($U = 1$に対応する$\vert \alpha \ket$も含む)で張られたヒルベルト空間の部分空間$V$は、その構成より、$U(\theta )$の作用のもとで不変である。(それぞれの状態は変化するが、部分空間$V$内の状態に変換されるだけである。)また、$G$のもとで不変となるさらに小さい部分空間$V' \subset V$は存在しない。なぜなら、$V$は$G$の変換によって互いに関係する全ての状態を含むように構成されたからである。よって、部分空間$V$上に$G$のユニタリー既約表現が得られた。$\{ \vert i \ket \}$を$V$の正規直交基底とすると、群の合成則は行列$\bra i \vert U \vert j \ket$の積として表せる。
この議論は$H$の全ての固有状態にも拡張できるので、固有状態は多重項に分類できる。それぞれの多重項に属す状態は同じエネルギー固有値をもつ。異なる既約表現は異なるエネルギー固有値を持ちうる。これまでの対称性の議論は、これらが同じ固有値をもつことを保証するものではないので、この解釈は汎用性が高い。しかし、異なる既約多重項が偶然同じエネルギー固有値をもつ場合もある。そのような偶発的な縮退については1.4節で解説した通りである。偶発的な縮退は非自明な対称性に起因する。その一例として、水素原子の励起状態の既約多重項が挙げられる。(第2章で解説したように水素原子のハミルトニアンはルンゲ-レンツ・ベクトルを保存する非自明な対称性がある。)
つぎに、(5.8)のゴールドストン表示について考える。この場合、$U (\theta ) \vert \psi_0 \ket \ne 0$となる性質について調査する必要がある。最初の問題は、この状態が規格化可能かどうかである。もし規格化可能であればこの状態はヒルベルト空間の要素となる。そこで、まず、$U (\theta ) \vert \psi_0 \ket $が規格化可能であると仮定する。この場合、$U (\theta ) \vert \psi_0 \ket $は$\vert \psi_0 \ket$と同じエネルギー固有値をもつ。よって、状態
\[ \vert \Psi_0 \ket = \sum_\theta \, U(\theta ) \, \vert \psi_0 \ket \tag{5.11} \]
を構成することができる。ただし、和(あるいは積分)は$\theta $の全ての値に渡る。この状態は$G$の変換のもとで不変である。実際、
\[ U(\theta' )\, \vert \Psi_0 \ket = \sum_\theta \, U(\theta' )\, U(\theta ) \, \vert \psi_0 \ket = \sum_\theta \, U({\tilde \theta} ) \, \vert \psi_0 \ket = \sum_{\tilde \theta} \, U({\tilde \theta}) \, \vert \psi_0 \ket = \vert \Psi_0 \ket \tag{5.12} \]
となる。よって、対称性変換のもとで不変な基底状態が構成され、状況はウィグナー表示の場合に回帰する。(状態$\vert \Psi_0 \ket $と直交する$U(\theta ) \vert \psi_0\ket$の組み合わせが存在するが、そのような組み合わせは一般により高いエネルギーをもつ。)したがって、本質的に異なる場合は$U(\theta )\, \vert \psi_0\ket$が規格化できないときに起きる。この場合、$U(\theta )\, \vert \psi_0\ket$はヒルベルト空間の要素ではない。また、対称性変換群のユニタリー表示を状態レベルで求めることはできない。対称性を持たない基底状態を選び、その基底状態に適当な演算子を作用させることで励起状態を構成しなければならないが、これらの励起状態も対称性を持たない。$H$は$U$と可換なので演算子の交換関係レベルでは対称性は保たれるが、状態レベルでは対称性は実現されない。したがって、対称性の破れは単純に基底状態が対称性を保たないことに由来する。この状況は自発的対称性の破れとして知られる。
より一般的な状況は、基底状態の対称性が対称性変換群の部分群によって部分的に保たれる場合である。このとき部分群の要素を例えば $h \in H \subset G$ と置くと、$U (h) \vert \psi_0 \ket = 0$ が成り立つ。この場合、部分群$H$に対してウィグナー表示が成立し、状態は$H$の既約表現で分類される。しかし、$H$に含まれない$G$の対称性変換はユニタリーに表示されない。この場合、対称性は$G$から$H$へ自発的に破れると言う。
自発的に破れる対称性が連続的な対称性の場合、パラメータ$\theta^a$は連続的に変化する。(パラメータは1つとは限らないので、$a = 1, 2, \cdots$などとラベルする。)恒等変換に対応するパラメータを$\theta^a =0$とすると、無限小変換はつぎの形
\[ U( \theta ) = \exp (i \theta^a \, Q_a ) \approx 1 + i \theta^a \, Q_a \tag{5.13} \]
で表せる。これは群の1要素 $g = e^{i \theta^a t_a} \in G$ に対応している。ただし、$t_a$は無限小変換の生成子である。また、(5.13)の$Q_a$は生成子$t_a$に対応する演算子である。これらの生成子は一般にある代数
\[ [ t_a, t_b ] = C^c_{ab} \, t_c \tag{5.14} \]
を満たす。ただし、$C^c_{ab}$は群$G$に対応するリー代数の構造定数である。演算子$Q_a$で表すと、同じ構造定数を用いて
\[ [ Q_a , Q_b ] = C^c_{ab} \, Q_c \tag{5.15} \]
となる。これは、演算子$Q_a$が代数(5.14)の表現を与えることを示している。
ゴールドストン表示では、演算子$Q_a$の基底状態への作用を考えることができる。$U(\theta )$が規格化できないという結果は、$\bra \psi_0 \vert Q_a \vert \psi_0\ket $が無限量になるという主張に言い換えられる。この主張は、つぎのシュワルツの不等式を用いると、状態$\vert \alpha \ket = Q_a \vert \psi_0 \ket$が規格化不可能であることと矛盾しない。
\[ \bra \psi_0 | \psi_0 \ket \bra \al | \al \ket \ge | \bra \psi_0 | \al \ket |^2 = | \bra \psi_0 | Q_a | \psi_0 \ket |^2 \tag{5.16} \]
$U$の作用で考えると
\[ \bra \psi_0 \vert U(\theta ) \vert \psi_0\ket = 0 \tag{5.17} \]
と置ける。これは、対称性変換で関係付けられる状態の間で遷移が起きないことを意味する。
演算子$Q_a$の基底状態$| \psi_0 \ket$への作用が発散し、規格化できない状態を生むので、無限自由度を考える必要がある。あるいは、自由度の数が無限となる熱力学極限で物理系を考える必要がある。よって、ゴールドストン表示は場の量子論の枠組みで扱われなければならない。
対称性の表示法についてのこれまでの結果をまとめると次のようになる。
定理5.1 物理系の対称性変換群を$G$とする。つまり、$G$の作用でハミルトニアンは変化しない。そのような対称性はつぎの2つのモードで実現される。
- 基底状態が$G$の作用のもとで不変である。これは対称性のウィグナー表示である。
- 基底状態が$G$の作用のもとで不変ででない。つまり、対称性は自発的に破れる。これは対称性のゴールドストン表示である。
ウィグナー表示では、量子系ハミルトニアンの固有状態は対称性変換の既約表現で分類される。それぞれの既約表現に属す状態は縮退している。ゴールドストン表示では、対称性はユニタリーでない。そのため、状態は対称性の構造を持たない。
前節で紹介した強い相互作用によるカイラル対称性$SU(3) \times SU(3)$の破れはゴールドストン表示の例である。他の例として超電導があるが、これは第6章で取り上げる。
ここで、ハドロン・スペクトルの問題に戻ると、ウィグナー表示ではメソンとバリオンを記述する理論あるいは状態のスペクトルは、$U(3)$代数の既約表現をもつ多重項で分類されなければならないことが分かる。そこで、次節では$SU(3)$群(あるいは同じことであるが$SU(3)$代数)の既約表現について考える。
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