2020-05-13

ファーブルの伝記と祖母のこと

今週から下の子がようやく入学式以来、小学校へ登校しました。30人クラスのうち10人だけが順番に登校するという分散登校でした。2時間あまりで下校しましたが、やっとランドセルを使えて嬉しそうでした。やっぱり子供には学校に行ってもらわないと困りますね。この状況、いつまで続くのでしょうか。私が小学校に入ったころは外遊びばかりでしたが、部屋で一人でいるときは図鑑や辞書を眺めることが多かったです。あとポプラ社の伝記だけは買ってもらえたので色々読みました。その中でも心に残っているのがシュバイツァーファーブルニュートンの伝記です。中学になって引っ越す際に子供用の本は処分することになりましたが、この3つだけは名残惜しくて手元に置くことにしました。


シュバイツァーは時折読み返しました。いつかランバレネに行きたいと思っていましたがいまだに実現できていません。ニュートンについては子供ながらに共感するところがあったのでしょうか、あの時まさか将来物理の研究をするとは思いもよりませんでした。


ファーブルの伝記には特別な思いがあります。私が小学校4,5年生だったでしょうか。母方の祖母が遥々三重県の楠から神戸まで来てくれて何日間か泊まっていきました。その時、祖母が私が学校に行っている間に子供部屋にあった伝記をいくつか読んだそうで、その中でファーブルが一番よかったとこっそり教えてくれたことがありました。楠ではいつもタバコを吸いながらプロレス中継ばかり観ている印象のある祖母がまさか児童書なんか読まないだろうと思っていたので驚いたと同時に私もファーブルの話が大好きだったので嬉しく思いました。祖母は島根県大田市の出身で祖父の仕事の関係か何かで島根で出会って、戦前に三重県までお嫁に来たそうです。母が8歳の時(1958年ごろ)に祖父が亡くなったため、祖母はとても苦労したと聞いています。ファーブルの自伝にも子供のころの信じられない苦労話(10代で一家離散して鉄道建設の肉体労働をしながらも詩心を忘れず苦学して数学・理科の先生になったなど)が出てくるので共感するところが多かったのかもしれません。祖母が亡くなってもう20年近くになりますがあの時神戸に来てくれた祖母のことを今でもたまに思い出します。

古事記の中に出てくる日本最古の和歌に
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を
という歌がありますが、以前にこの歌を知った時一番初めに頭に浮かんだのが八重子という祖母の名前でした。その時初めて祖母の名前が出雲ゆかりの由緒のあるものだったことに気付き、ファーブルの伝記が好きだと微笑みながら伝えてくれた祖母の顔を懐かしく思い出しました。

最後にファーブルと言えば奥本大三郎先生の『完訳ファーブル昆虫記』という大偉業があります。素晴らしい挿絵と詳しい解説でファーブル昆虫記の魅力を余すことなく伝えてくれています。全20冊のうち私はまだ初めの4冊しか読んでいませんが、時間があればまた読み進めたいと思います。


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