だいぶ前に「芸能人は歯が命~」というコマーシャルがありましたが、芸能人だけでなく我々現代人にとって歯は本当に大事です。特に試験や試合の前に歯が痛くなるのはホント勘弁してほしいですよね。日本では皆保険制のおかげで比較的安く、気軽に歯医者に行けるのでありがたいです。アメリカに住んでいた時、歯医者の保険に入ってないにもかかわらず、どうしても歯が痛くてたまらずニューヨークの歯医者さんに右上の奥歯の神経を抜いてもらったことがあります。中国系の歯医者さん、ドクターヤンでした。電話で予約して訪問しましたが、保険ないし、なんかマンハッタンのビジネスマンが予約してくるような所なのでヤバそうだなあと予想していたら案の定、確か900ドルと言われたので、まだ大学院生で貧乏だから学生価格でお願いしますとゴネたところ700ドルにしてくれました。治療はその日一日で終わり痛みもなくなりました。(神経抜いたのだから当然か。英語で root canal って言ってました。)とにかく、アメリカでは医療費が高いのでできるだけ虫歯にならないように注意が必要です。アリゾナに居たときメキシコにまで歯医者に通っているというクラスメイトがいて驚きました。そういえば自分もメキシコで激安コンタクトレンズを買った記憶があります。同じものなら安い方がいいですよね。文化的にもアメリカ人は表情が豊かあるいは喜怒哀楽が激しいので歯を見せる機会が多く、そのため白い歯・歯並びの良さで社会的なステイタスがある程度分かります。経済的な成功者で歯並びの悪いアメリカ人はまずいません。
アメリカの影響でしょう。日本もそんな感じになってきました。長女は小学校上がる前から歯医者で歯列矯正を薦められ、フッ素配合歯磨き粉のおかげで今のところ虫歯はありません。下の子は歯医者に行くと矯正薦められそうなのでまだ行かずに、家でフッ素の入った歯磨き粉で毎日ブラッシングしています。今のところ虫歯はなさそうです。とりあえず、白い歯と歯並びについては親の責任と思って頑張ります!(将来、アメリカ人と渡り合う時に印象悪いと損なので。)
自分が子供のころは虫歯はあって当然で歯並びを矯正する友達はそんなに多くありませんでした。私も小学校から今に至るまでずっと歯医者さんにお世話になっていて上下左右の奥歯はすべて虫歯になりました。独断で原因を考えてみるとやっぱりフッ素配合の歯磨き粉を使わなかったからではないかと感じています。初めて歯医者に行ったのは、4歳ごろ大阪の柏原に住んでいた頃に電車に乗ってアップル歯科というところに母に連れられて行きました。そこで薦められたのが何もつけないブラッシングでした。何もつけないとブラッシングに集中でき歯間や奥歯などを丁寧にに磨く意識付けになるとかいうような理由だったのではないでしょうか。ハッキリ言って子供には難しい意識付けです。アップル歯科には1,2回しか通わずその後神戸に引っ越しましたが、母はせっかく薦められたのだからということでこの方針に疑念はなかったようです。乳歯が抜け始めた頃も歯磨き粉付けづにブラッシングしていました。それこそ味気ない歯磨きだったのをよく覚えています。あまり楽しい歯磨きではなかったのでサボることもあったような気がします。お菓子も大好きだったので、小学3,4年生のころには虫歯で地元灘区の億川歯科にお世話になりました。5年生ぐらいになるとすべて永久歯に生え変わりましたが、どうも受け口気味なので直してもらおうということで元町にある陳(チン)先生の所に何度か通いました。近くにミスタードーナツがあって治療後はいつもドーナツ買って帰りました。(だから、虫歯になるんだけど!)
陳先生の所で歯列矯正を2年ぐらい診てもらいましたが、小学校卒業後東京に引っ越すことになったのでそれっきりになってしまいました。矯正器具もいつしか合わなくなってやめてしまいました。というわけで現在に至るまで中途半端にそろった感じの歯並びのままです。だいぶ前、実家に帰った時同じく歯列矯正の経験のある妻が「引越しの時は矯正の継続はどうされたのですか」と母に聞いたところ、「めんどくさいからやめた」と衝撃の発言をしていました。(まあ予想はしていましたが。)中学・高校の時はあまり歯医者に行った記憶はありませんが、大田区の北千束に住んでいた時、地元の風間歯科に一度お世話になりました。中学2年で祖母の居た自由が丘に移りましたが、大学に入るまで歯医者にお世話になった記憶はありません。大学1年のとき免許合宿で伊那自動車教習所に長期滞在している際、奥歯が痛くてたまらなくなり近くの歯医者を探して徒歩で通院しました。最初田舎だから藪医者だったらどうしようと少し不安でしたが、いままで診てもらった歯医者さんとは比較にならないほど素晴らしいところで驚きました。保険証のコピーしかありませんでしたがそれでも快く対応していただき、治療前には治療方針やその理由を丁寧に説明してくださり感動しました。それまで歯医者では子ども扱いを受けていたけどこの時は大学生ということで初めて大人扱いされたのでよく覚えています。待合室には風景写真や東京医科歯科大の証書が飾られていました。1994年夏のことです。免許合宿中は結構暇だったので計3回ぐらい通って完治しました。本当にいい歯医者さんでした。気になったのでいま調べてみると、ありました! 長野県伊那市の鈴木歯科医院さんです。HPによると開業が平成3年(1991年)なので私が伺ったときは開業3年目で先生もまだ若かったようです。鈴木弘也(みつや)先生、あの時はどうもありがとうございました!
免許取得後もちょくちょく歯が痛くなり、近所の歯医者にお世話になりました。今のようにネットがあるわけではないのでどこがいいのかサッパリ分かりません。とりあえず母に薦められたところに通いました。深沢の山口歯科、自由が丘の石井歯科にお世話になりました。深沢の山口先生はおじいちゃん先生で今では考えられませんがいつも素手で治療してもらいました。治療方法は昔ながらのものだったかもしれませんが職人的な技術で治してくれました。山口歯科には車で通院していましたが「車の運転は慣れ始めたときが一番危ないよ」とアドバイスしてもらったことをよく覚えています。石井先生にはアメリカからの一時帰国中に無理言って集中的に診てもらいました。アメリカの歯医者で root canal しましたと報告したら、後学のためにレントゲン取らせてくださいとおっしゃる様な研究熱心な先生でした。
帰国後は三鷹に住んでいますが、やはり数年経つと歯が痛くなりはじめこちらでも歯医者さんにお世話になりました。近所の金子歯科で治療してもらったときに親知らずも抜いたほうがいいというので大学病院への紹介状を書いてもらいましたが、その後それほど痛まなかったので結局行かずじまいでした。それでも一年ぐらいすると痛みだし、何とかならないかと別の歯医者に行くと、あっさりじゃあ抜きましょうと言って抜いてくれました。鈴木デンタルクリニックの鈴木先生です。その後、結局親知らず4本ともすべて抜いてもらいました。
反対側は汚いのできれいな方です。角度を変えて歯の上側はこんな感じです。
それ以降も健診などすべて鈴木先生の所にお世話になっています。かかりつけの歯医者さんがいると安心ですよね。長女が小さいときには一緒に連れて行ってフッ素を塗ってもらったりしました。子供が歯列矯正を始める際は近くの歯医者を調べましたが、その中に川島歯科があり先生がなんと高校の同級生(3年間同じクラスの川島君「カッピ」)だったので、懐かしくなって子供と訪問しました。歯医者さんは手先が器用なことが第一ですが、カッピなら安心です。なぜなら、高校の時カッピがいきなりショパンかなんかのすごい曲をピアノで弾き始めたことがあり、驚いて聞いたら、「ピアノ習っていたんだけど辞めるとき何か一曲覚えておこうと思って。」と言っていたのがとても印象に残っていたからです。あれだけ指を器用に動かせたら歯の治療なんかは簡単でしょう。また、カッピエピソードでいま思い出したのですが、途中までたしか文系志望だったカッピがいきなり、「阿部ちゃん、決めた、オレ歯学部受けるわ」と宣言したのには驚きました。ちょうど席が前後で隣同士だった時です。その頃私は将来のことについて深く考えていませんでしたが、今考えるとその時カッピは相当悩んでいて熟慮を重ねたうえでの決定だったのでしょう。その後の彼は吹っ切れたようでした。あのカッピがいまや歯科医院を構えて立派な先生になっていると思うと私も年取ったなあ、自分はちょっと迷走気味かなと反省しました。実際、川島先生に診てもらいましたがその時は虫歯も何もなくただ見てもらうだけでその後同級生がどうしてるとか子供が何人いるだとか無駄話をして他の患者さんの貴重な診療時間を使ってしまいました。ということで、あれ以来は迷惑になると思い訪問はしていませんが、三鷹の川島歯科は良い歯医者さんですよ!お勧めです。近くの方はぜひ一度行かれてみてはどうでしょう。
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