2.3 散乱状態
この節では前節と同様に代数
\[ \left\{ \begin{eqnarray} \left[ L_i , L_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k \\ \left[ L_i , R_j \right] &=& i \ep_{ijk} R_k \\ \left[ R_i , R_j \right] &=& i \ep_{ijk} \left( - \frac{2H}{m} \right) L_k \\ \left[ L_i , H \right] &=& \left[ R_i , H \right] \, = \, 0 \\ \end{eqnarray} \right. \tag{2.29} \]
において $H > 0$ となる場合を考える。これは水素電子の散乱状態に対応する。このときルンゲ-レンツ・ベクトルは
\[ N_i = \sqrt{\frac{m}{2H}} R_i \tag{2.44} \]
と規格化される。代数(2.29)は
\[ \left\{ \begin{array}{rcl} \left[ L_i , L_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k \\ \left[ L_i , N_j \right] &=& i \ep_{ijk} N_k \\ \left[ N_i , N_j \right] &=& - i \ep_{ijk} L_k \\ \end{array} \right. \tag{2.45} \]
と表せる。これは $O(3,1)$ 代数を成す。$O(3,1)$ 群は、$x^2 + y^2 + z^2 - t^2$ の値が不変となるような $x$, $y$, $z$, $t$ の直交線形変換によって表せる群である。よって、$O(3,1)$ 代数はローレンツ代数とも呼ばれる。
$N_i$ に関する代数は
\[ \begin{array}{rcl} \left[ L_i , iN_j \right] &=& i \ep_{ijk} (i N_k ) \\ \left[ iN_i , iN_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k \\ \end{array} \tag{2.46} \]
とも書ける。ただし、$i N_i = \sqrt{-1} \,N_i$ である。よって、前節と同様に次の2つの演算子
\[ S_{i}^{(1)} = \frac{L_i + i N_i }{2} \, , ~~~ S_{i}^{(2)} = \frac{L_i - i N_i }{2} \tag{2.47} \]
($i = 1,2,3$) は$SU(2)$代数の2つのコピーを与えることが分かる。しかしながら、これらの演算子はエルミートではない。$L_i$ と $N_i$ で生成される変換 $S$ の要素は実パラメータ $\th^i$, $\alpha^i$ を用いて、
\[ S = \exp\left( i \th^i L_i + i \alpha^i N_i\right) \tag{2.48} \]
とパラメータ表示できる。代数(2.45)は特に $L_i = {1\over 2} \sigma_i$, $N_i = -{i \over 2}\sigma_i$ の場合に成り立つので、
\[ S = \exp\left( i \th^i \frac{\sigma_i }{2} + \alpha^i \frac{\sigma_i }{2 } \right) = \exp \left( i ( \th^i - i \alpha^i) \frac{ \sigma_i }{ 2 } \right) \tag{2.49} \]
と表せる。これは代数(2.45)で生成される変換が複素数のパラメータを用いた $SU(2)$ 変換とみなせることを示している。この複素化された $SU(2)$ 群は $SL(2, {\mathbb C})$ と呼ばれる。
前節の式(2.37)と同様にハミルトニアンは
\[ H = \frac{m \ka}{2} \frac{1}{N^2 - L^2 -1} \tag{2.50} \]
と表せる。ここで、$S_{\pm}^{(1)} = S_{1}^{(1)} \pm i S_{2}^{(1)}$ を導入して $S_{i}^{(1)}$ の代数を $S_{\pm}^{(1)}$ と $S_{3}^{(1)} = (L_3 + i N_3)/2$ で表すことを考えよう。このとき「最低」状態 $| \Om \ket$ を
\[ S_{-}^{(1)} | \Om \ket = 0 \tag{2.51} \]
で定義する。状態 $| \Om \ket$ への $S_{3}^{(1)}$ の作用は
\[ S_{3}^{(1)} | \Om \ket = ( a + ib ) | \Om \ket \tag{2.52} \]
と書ける。ただし、$a, \, b$ は実数であり、それぞれ最低状態に作用する演算子 $L_3$ と $N_3$ の量子数に対応する。関係式(2.46)から分かるように $[N_i, N_j]$ は $L_k$ を与えるので、ゼロでない $L_k$ に対して $b$ をゼロとすることはできない。(もし $L_i$ と $N_i$ が最低状態でともにゼロとなるなら、すべての変換のもとでこの状態は不変となり表現は自明となる。)よって、以下では $b \ne 0$ とし、ゼロの場合は極限として $b \rightarrow 0$ を考える。$S_{i}^{(1)}$ の2次カシミール演算子は
\[ S_{i}^{(1)} S_{i}^{(1)} = S_{+}^{(1)} S_{-}^{(1)} + {S_{3}^{(1)}}^2 - S_{3}^{(1)} \tag{2.53} \]
と計算できる。これより、関係式
\[ {S^{(1)}}^2 | \Om \ket = [ (a + ib)^2 - (a+ ib) ] | \Om \ket \tag{2.54} \]
が求まる。同様に $S_{3}^{(2)}$ についても
\[\begin{eqnarray} S_{3}^{(2)} | \Om \ket &=& ( a - ib ) | \Om \ket \tag{2.55}\\ {S^{(2)}}^2 | \Om \ket &=& [ (a - ib)^2 - (a - ib) ] | \Om \ket \tag{2.56} \end{eqnarray}\]
と求まる。さらに、運動量ベクトルとルンゲ-レンツ・ベクトルが直交することから $L \cdot N = N \cdot L = 0$ が分かる。よって、定義式(2.47)から
\[ {S^{(1)}}^2 = {S^{(2)}}^2 = \frac{L^2 - N^2}{4} \tag{2.57} \]
を得る。${S^{(1)}}^2$ と ${S^{(2)}}^2$ の固有値が等しいので、(2.54)と(2.56)から $a$, $b$ について解くと
\[\begin{eqnarray} (a + ib)^2 - (a+ ib) &=& (a - ib)^2 - (a - ib) \nonumber \\ 2ib(2a-1) &=& 0 \nonumber \\ \Longrightarrow ~ a &=& \hf \, ~(b \ne 0) \tag{2.58} \end{eqnarray}\]
となる。$b= 0$ の場合は上で議論した自明な解となる。この結果を(2.54)あるいは(2.56)に代入すると
\[ N^2 - L^2 = 4 b^2 + 1 \tag{2.59} \]
となる。よって、ハミルトニアン(2.50)は
\[ H = \frac{m \ka}{2} \frac{1}{(2b)^2} \, > \, 0 \tag{2.60} \]
と表せる。ここで、$b$ にはいかなる制限も掛からないことに注意しよう。つまり、$b$ は連続的であり、ゼロでない任意の実数値 $- \infty < b < \infty$ ($b \ne 0$) を取ることができる。
角運動量ベクトル $L_i$ とルンゲ-レンツ・ベクトル $N_i$ は共にエルミート演算子なのでここで得られた表現はユニタリー表現である。特に、$S_{+}^{(1)}$ と $S_{-}^{(2)}$ は互いに共役であることが確認できる。パラメータ $b$ に量子化条件は課されないので、$b$ は量子化されず、それに伴いハミルトニアン $H$ も量子化されない。$b$ の大きさは散乱状態の衝突係数と関係しており、$b$ の符号によって散乱において入射状態か放射状態か区別される。
最低状態 $\vert \Omega\ket$ に $S^{(1)}_+$, $S^{(2)}_+$ を作用させて様々な状態を構成していくと、パラメータ $b$ は量子化されていないので、その作用は一般に途切れることはない。よって、いま考えている $O(3,1)$ 群 (あるいは $SL(2, {\mathbb C})$ 群) のユニタリー表現は無限次元の表現をもつ。$O(3,1)$ はノンコンパクトであるので、以上の結果は、ノンコンパクトなリー群のユニタリー表現は無限次元であるという一般的な定理に沿ったものである。
この節では水素原子の散乱状態においてエネルギー・スペクトルは量子化されないことを見た。前節の結果も含めると、水素原子の束縛状態 ($H \le 0$) と散乱状態 ($H > 0$) のエネルギー・スペクトルは次のような略図で表せることが分かった。
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