2024-01-26

2. 水素原子の束縛状態と散乱状態 vol.3

2.3 散乱状態


この節では前節と同様に代数
\[  \left\{ \begin{eqnarray} \left[ L_i , L_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k  \\ \left[ L_i , R_j \right] &=& i \ep_{ijk} R_k \\ \left[ R_i , R_j \right] &=& i \ep_{ijk} \left( - \frac{2H}{m} \right) L_k  \\ \left[ L_i , H \right] &=& \left[ R_i , H \right] \, = \, 0 \\ \end{eqnarray}  \right.  \tag{2.29} \]
において$H > 0$となる場合を考える。これは水素電子の散乱状態に対応する。このときルンゲ-レンツベクトルは
\[ N_i = \sqrt{\frac{m}{2H}} R_i \tag{2.44} \]
と規格化される。代数(2.29)は
\[    \left\{    \begin{array}{rcl} \left[ L_i , L_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k \\ \left[ L_i , N_j \right] &=& i \ep_{ijk} N_k \\ \left[ N_i , N_j \right] &=& - i \ep_{ijk} L_k \\   \end{array}   \right.   \tag{2.45} \]
と表せる。これは$O(3,1)$代数を成す。$O(3,1)$群は、$x^2 + y^2 + z^2 - t^2$の値が不変となるような$x$, $y$, $z$, $t$の直交線形変換によって表せる群である。よって、$O(3,1)$代数はローレンツ代数とも呼ばれる。

 $N_i$に関する代数は
\[    \begin{array}{rcl} \left[ L_i , iN_j \right] &=& i \ep_{ijk} (i N_k ) \\ \left[ iN_i , iN_j \right] &=& i \ep_{ijk} L_k  \\   \end{array}    \tag{2.46} \]
とも書ける。ただし、$i N_i = \sqrt{-1} \,N_i$である。よって、前節と同様に次の2つの演算子
\[ S_{i}^{(1)} = \frac{L_i + i N_i }{2} \, , ~~~ S_{i}^{(2)} = \frac{L_i - i N_i }{2} \tag{2.47} \]
($i = 1,2,3$) は$SU(2)$代数の2つのコピーを与えることが分かる。しかしながら、これらの演算子はエルミートではない。$L_i$と$N_i$で生成される変換$S$の要素は実パラメータ$\th^i$, $\alpha^i$を用いて、
\[    S =  \exp\left( i \th^i L_i + i \alpha^i N_i\right)     \tag{2.48} \]
とパラメータ表示できる。代数(2.45)は特に$L_i = {1\over 2} \sigma_i$, $N_i = -{i \over 2}\sigma_i$の場合に成り立つので、
\[    S = \exp\left( i \th^i \frac{\sigma_i }{2} + \alpha^i \frac{\sigma_i }{2 } \right)    = \exp \left( i ( \th^i - i \alpha^i) \frac{ \sigma_i }{ 2 } \right)      \tag{2.49} \]
と表せる。これは代数(2.45)で生成される変換が複素数のパラメータを用いた$SU(2)$変換とみなせることを示している。この複素化された$SU(2)$群は$SL(2, {\mathbb C})$と呼ばれる。

 前節の式(2.37)と同様にハミルトニアンは
\[ H = \frac{m \ka}{2} \frac{1}{N^2 - L^2 -1} \tag{2.50} \]
と表せる。ここで、$S_{\pm}^{(1)} = S_{1}^{(1)} \pm i S_{2}^{(1)}$を導入して$S_{i}^{(1)}$の代数を$S_{\pm}^{(1)}$と$S_{3}^{(1)} = (L_3 + i N_3)/2$で表すことを考えよう。このとき「最低」状態$| \Om \ket$を
\[ S_{-}^{(1)} | \Om \ket = 0 \tag{2.51} \]
で定義する。状態$| \Om \ket$への$S_{3}^{(1)}$の作用は
\[ S_{3}^{(1)} | \Om \ket = ( a + ib ) | \Om \ket \tag{2.52} \]
と書ける。ただし、$a, \, b$は実数であり、それぞれ最低状態に作用する演算子$L_3$と$N_3$の量子数に対応する。関係式(2.46)から分かるように$[N_i, N_j]$は$L_k$を与えるので、ゼロでない$L_k$に対して$b$をゼロとすることはできない。(もし$L_i$と$N_i$が最低状態でともにゼロとなるなら、すべての変換のもとでこの状態は不変となり表現は自明となる。)よって、以下では$b \ne 0$とし、ゼロの場合は極限として$b \rightarrow 0$考える。$S_{i}^{(1)}$の2次カシミール演算子は
\[ S_{i}^{(1)} S_{i}^{(1)} = S_{+}^{(1)} S_{-}^{(1)} + {S_{3}^{(1)}}^2 - S_{3}^{(1)} \tag{2.53} \]
と計算できる。これより、関係式
\[ {S^{(1)}}^2 | \Om \ket = [ (a + ib)^2 - (a+ ib) ] | \Om \ket \tag{2.54} \]
が求まる。同様に$S_{3}^{(2)}$についても
\[\begin{eqnarray} S_{3}^{(2)} | \Om \ket &=& ( a - ib ) | \Om \ket \tag{2.55}\\ {S^{(2)}}^2 | \Om \ket &=& [ (a - ib)^2 - (a - ib) ] | \Om \ket \tag{2.56} \end{eqnarray}\]
と求まる。さらに、運動量ベクトルとルンゲ-レンツベクトルが直交することから$L \cdot N = N \cdot L = 0$が分かる。よって、定義式(2.47)から
\[ {S^{(1)}}^2 = {S^{(2)}}^2 = \frac{L^2 - N^2}{4} \tag{2.57} \]
を得る。${S^{(1)}}^2$と${S^{(2)}}^2$の固有値が等しいので、(2.54)と(2.56)から$a$, $b$について解くと
\[\begin{eqnarray} (a + ib)^2 - (a+ ib)  &=& (a - ib)^2 - (a - ib) \nonumber \\ 2ib(2a-1) &=& 0 \nonumber \\ \Longrightarrow ~ a &=& \hf \, ~(b \ne 0) \tag{2.58} \end{eqnarray}\]
となる。$b= 0$の場合は上で議論した自明な解となる。この結果を(2.54)あるいは(2.56)に代入すると
\[ N^2 - L^2 = 4 b^2 + 1 \tag{2.59} \]
となる。よって、ハミルトニアン(2.50)は
\[ H = \frac{m \ka}{2} \frac{1}{(2b)^2} \, > \, 0 \tag{2.60} \]
と表せる。ここで、$b$にはいかなる制限も掛からないことに注意しよう。つまり、$b$は連続的であり、ゼロでない任意の実数値$- \infty < b < \infty$ ($b \ne 0$) を取ることができる。

 角運動量ベクトル$L_i$とルンゲ-レンツベクトル$N_i$は共にエルミート演算子なのでここで得られた表現はユニタリー表現である。特に、$S_{+}^{(1)}$と$S_{-}^{(2)}$は互いに共役であることが確認できる。パラメータ$b$に量子化条件は課されないので、$b$は量子化されず、それに伴いハミルトニアン$H$も量子化されない。$b$の大きさは散乱状態の衝突係数と関係しており、$b$の符号によって散乱において入射状態か放射状態か区別される。

 最低状態$\vert \Omega\ket$に$S^{(1)}_+$, $S^{(2)}_+$を作用させて様々な状態を構成していくと、パラメータ$b$は量子化されていないので、その作用は一般に途切れることはない。よって、いま考えている$O(3,1)$群 (あるいは$SL(2, {\mathbb C})$群) のユニタリー表現は無限次元の表現をもつ。$O(3,1)$はノンコンパクトであるので、以上の結果は、ノンコンパクトなリー群のユニタリー表現は無限次元であるという一般的な定理に沿ったものである。

 この節では水素原子の散乱状態においてエネルギー・スペクトルは量子化されないことを見た。前節の結果も含めると、水素原子の束縛状態($H \le 0$)と散乱状態($H > 0$)のエネルギー・スペクトルは次のような略図で表せることが分かった。


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