2018-09-18

ヘルマン・ヘッセのこと

お世話になった先生シリーズ3の最後にヘッセの『ガラス玉演戯』


の話が出たので、学生のころに影響を受けたヘルマン・ヘッセの作品についても忘れないうちに書いておきます。手に取ったヘッセの作品のほとんどは新潮文庫だったので、ヘッセと親交のあった高橋健二さんの訳で読みました。中学2年のころ教科書だったか参考書に載っていた『車輪の下』



を買いました。いま見ると昭和63年5月の88刷で定価240円でした。中学生には少し難しかったかもしれませんが、当時はいろいろと考えることもあり(中学生のころについてはこちらも参照)、分からないなりに大事なことが書いてあると思い本棚に飾っていました。その後、高校卒業するまでは、勉強と部活に忙しくて忘れていました。この本のよさに気付いたのは浪人生活が決まって時間を持て余している頃でした。最後まで読み通して衝撃を受け、他の本も次々に読みました。いま残っている文庫だけでも平成5年出版のものが6冊ありました。


現役で受かった人たちがキャンパスライフをエンジョイしている間、みじめな浪人生としてこれらの本から人生の厳しさを勉強していたのかもしれません。ただ、今振り返ると詩集と『シッダールタ』以外はどれもなんというか似たような印象の内容でした。どれか読めと言えばやはり『車輪の下』がお薦めです。ヘッセは当時のヨーロッパでは珍しく東洋についての理解がある文学者だったので日本人には読みやすいと思います。ヘッセの作品で印象に残っているのは大学時代に読んだ『知と愛―ナルチスとゴルトムント』


です。ゴルトムントがやることが決まって彫刻に没頭するようになるとそれまで見えていた世界が全く変わったという描写があり、良く覚えています。何をやればいいのか迷っている若者は古今東西問わずいるのでこれからも若い人に読み継がれて欲しい作品です。その後、『荒野のおおかみ』を読むつもりでしたが機会がなく、一度、大学院一年目にアリゾナ大学の図書館で''Steppenwolf''を借りて頑張ってみたけど、なんか複雑すぎたのか英語力が無さすぎたのかで結局挫折しました。日本語の文庫も購入しましたがまだ完読できていません。(おそらくできないでしょう。)ヘッセ最後の小説となったのは冒頭の『ガラス玉演戯』です。描かれている世界が私が知る範囲の理論物理学のようなアカデミックな世界ととても類似していたので、ヘッセも物理やりたかったのだなぁと勝手に解釈して楽しみながら読みました。この長編小説の後ヘッセは小説を書いていません。本当に言いたかったことはここに書ききったという気がします。その後はよく知られているように、エッセイや園芸、水彩画など御隠居のような生活をしていたそうです。

ヘッセのもう一つ重要なライフワークは読者・知人との手紙のやり取りです。小説を読まない人でもヘッセの手紙には感銘を受けると思います。私が大学時代に何度も読んだのが『ヘッセからの手紙 混沌を生き抜くために』


でした。仕事で忙しい人や子育て中の人には向いていませんが、時間に余裕があり生き方に悩んでいる人(とくに若者や老人)には読みごたえがあると思います。ヘッセの文章を読んでいると自分にも他人にも誠実に生きた人だなあと感動します。実際に自分の周りにこういう人がいるとやはりめんどくさいとは思いますが、このような人がもっといてくれたらとも期待します。学生時代には自分でピストルを購入し自殺しようとした人がこのような偉人になったという事実だけでも痛快です。自慰行為に悩む青年の手紙に対して「自分の気持ちを無理に抑え込む必要はありません。」と真摯に答えたヘッセの言葉に私はもしかして青年時代に一番知りたかったことを教えてもらった気がしました!?あと、ヘッセの「詩というものはなにか一つ自分の心に忘れずに持ち続けることができれば、あとはもう詩を読む必要なんてないのです。」という言葉は忘れられないです。ヘッセが今生きていればきっと影響力のあるブロガーになってコメント欄を通じてフォロワーの悩みを大いに解決していることでしょう。また、そのような人は現代のヘッセかもしれませんね、もし誰かそのような人をご存知でしたら教えてください。

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