2018年9月12日

最近読んだ本:高村薫

大学生になって1年目でしたでしょうか、時間があるので何か分厚い本を読まなきゃ恥ずかしいなというそれだけの思いから本屋で見つけた『リヴィエラを撃て』を一気に読んだことがあります。理系なのでミステリーとか読むのは軽すぎるかな、もっと文学っぽいの(大江健三郎とか志賀直哉とか)読まないとなあなんて考えていましたが、その後も


が出ると気になって読んでしまいました。時代に合ったエンターテイメントとして良質だったし読んでいて楽しかったからですが、真面目な学生としてはこんなの読んでいていいのだろうかと少し後ろめたさはありました。もっと世界の文学(ガルシア・マルケスとかオクタビオ・パスとかパブロ・ネルーダとかボルヘスとか、そう全部ラテンアメリカの作家です)を読まなきゃいけないなあなどと考えていました。その後、勉強の方が忙しくなり小説やミステリーを読むことは意識的にしなくなりましたが、デビュー作の『リヴィエラを撃て』を偶然読む機会があった縁があるので高村薫の作品はいつも気になっていました。学生時代に読書家の友人が同世代の作家として読むべきはやはり平野啓一郎かなと言っていましたが、私にはあまりピンとこず、同世代というより同時代の作家として読むべき人がいるとしたら私にとっては高村薫かななどと思っていました。Ph.D.取得後、時間に余裕ができたときに読んだのが『レディ・ジョーカー』でした。これも長かったですがあっという間に読めて、相変わらずの上質エンターテイメントで楽しめました。その後、手に取ったのが


でしたが、これは読み切れませんでした。私はどちらかというと我慢強く読む方なのですが、何故か下巻を買うことはありませんでした。これまでのミステリーとはだいぶ趣向が変わりエンターテイメントとして気軽に読めなくなった印象でした。ただ、作家の調査力には圧倒され感服した記憶があります。その後も精力的に作品を出し続け、メディアでも発言されているのは知っていましたが、作品自体は『晴子情歌』以来なぜか敬遠して読まなくなっていました。

ところが、先週ネットサーフィン中に高村薫が空海について書いている本があると知ったので早速注文しました。


先日読了しましたが、これは私にとってこれまで読んだ高村薫作品の中で一番良かったです。精力的な調査、情報収集、それらを整理・編集し読者に分かり易く提供する文章力、当代随一の作家・話者になられたのだなあと感慨深かったです。私も信仰心のない理系頭の人間なので宗教に対する高村薫の第三者的な視点には共感できました。空海については松岡正剛さんの文章

https://1000ya.isis.ne.jp/0750.html

や中島尚彦さんの文章

http://www.historyjp.com/ArticleList.asp?bu=20
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=164

で知る機会があったので興味深く思っていました。また、趣味の登山中に例えば両神山に登った時など弘法大師の井戸があったりするので、こんなところまで来てたのか~などと実体験としても馴染みがありました。今回の読書で全国各地にある弘法大師ゆかりの地はどうやら高野聖(ひじり)が多分に関与していたとの知り納得しました。高村薫の慧眼によると空海の理解にとって重要なことは空海が四国で山林修行をしていた時に室戸岬の洞窟で神秘体験をしたこと、それを言語化・視覚化する努力を怠らなかったこと、そしてなにより空海その人自体に魅力(オーラ)があったことだそうです。特に2番目の言語化・視覚化する能力(プレゼン力)は現代人も見習うべき天才的なものがあったのだろうと思います。まあ、見習うと言っても天才的な語学力や身体的な優雅さなどは天性のものなので難しいと思いますが。この辺のことを高村薫は
宗教的確信は、論理を超越する。信心に無縁の人間が宗教者の著作に触れる時に感じる違和感がそれである。空海の、言葉への並外れた執着と独創的な言語感覚は、同時代のほかの仏教者には見られないものである。いわば言葉で世界を言い表すというより、言葉で世界を強引に創造してしまうと言おうか。誰も経験したことのない密教の世界が、文字通り空海の言葉で開かれるのである。
と述べています。いまこうして引用してみると後半部分については現代の素粒子理論家、とくに実験で検証することが不可能な現象を高度な数学を用いて解明していく超弦理論家も似たようなことをやっているなと感じます。数学の言葉で宇宙を創造できればそれはやはり人類の知性が目指すべき到達点の一つではないでしょうか。少なくとも私にとってはそんな魅力的な人類の営みは他には見当たりません。前半部分の「論理を超越する」点が科学と宗教の違いです。科学的に検証することの困難な神秘体験を納得させる理論を突き詰めていくのが宗教(真言宗)の重要な側面であるとするなら、やはりどうしても科学的なアプローチが必要になると思います。もちろん、衆生救済という側面から今の形で真言宗が広く普及しているのでしょうが、若く理想的な人間はどうしても理(ことわり)に魅力を感じます。ただ、そこに現代の宗教の落とし穴があるような気がします。現代において神秘体験に導かれる宗教にはオウム真理教に通じる危険性もはらんでいるという高村薫の指摘は改めて現代人が心に留めておくべき警鐘だと思います。

とはいえ、オウムの事件は1200年も前に活躍した空海とは全く関係のないことでしょう。それよりも空海の教えが今でも信仰され、弘法大師として日本中で親しまれていることが単純にすごいことです。これはやはり空海の教えで幸せになった人が多かったからだと思います。博覧強記の知識、会話力、プレゼン力、そして土木技術などに精通した実務的な側面、科学技術についても当時の最先端の知識を持ち合わせていたことでしょう。もちろん国家的なバックアップがあったでしょうが、1200年にもわたり空海の教えが守られてきたのには民間に信仰が流布し人々に支えられたからに他ありません。さて、翻って現代の科学が今後も1200年以上にわたって発展し続けるでしょうか?私は心もとないです。特に基礎科学は国家的なバックアップがなければ発展は難しいですが、その予算は日本でもアメリカでも縮小されています。素粒子理論についてはアメリカのほうでは民間財団の支援が大きくなってきているそうです。現代の科学者のリーダーたちにはそのような支援者を募るファンドレイジング的な役割も求められているので、そういった方々の中から現代の空海が現れることを期待します。

最後に、空海については、密教21フォーラムという組織が運営しているとても充実した総合情報サイト

http://www.mikkyo21f.gr.jp/
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-archives/

があるので興味ある方は参考にしてください。

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