前回の続きです。松江を8時過ぎに出発、島根半島東端の美保神社へ。折角なので中海に浮かぶ大根島(だいこんしま)、境港経由で行くことに。中海沿いの風光明媚な道路に沿って島を通過し江島のファミリーマートで休憩。食糧・水分補給して境港に向かおうとすると偶然にも以前コマーシャルで有名になった通称「ベタ踏み坂」(江島大橋)が目の前に!この後通る境水道大橋もそうでしたが、中海・境港を航行する船を通すためなのでしょう橋の高さが初見では異常なほど高く感じられ新鮮でした。
境港から境水道大橋を渡り再び島根県へ。美保神社へ向かう道は奥尻島で走った孤島の道のようでした。しばらくすると無料駐車場の案内がありました。
美保神社までは歩いてすぐです。
昨日の夕方来ていたら真っ暗で何も見えなかったでしょう。午前中に来て正解でした。ゆっくり見学&お参りしました。その後、美保関灯台まで足を延ばしました。
静かできれいな所です。子供達は暑さでばてたようで車で待機していました。今日は彦根まで行く予定なのであまりのんびりしていられません。再び境港に戻り、米子市内を抜け米子道へ。そういえば米子市内を走っていると「アジア博物館・井上靖記念館」の案内がありました。興味ありましたがさすがに寄っている時間はありませんでした。旭川の井上靖記念館に行った際、鳥取には井上靖記念館が2つもあることを聞き及んでいたのですが、すっかり忘れていました。井上靖がまだ大阪に居た戦争中に家族を鳥取に疎開させたそうで鳥取も井上靖ゆかりの地だそうです。これまで沼津と旭川の記念館には行ったのですがそれ以外にも長浜、金沢、伊豆、北上にもゆかりの記念館があるそうです。機会があれば訪問したいと思います。
米子道で一路岡山へ。途中、大山PAで休憩。懐かしい蒜山高原を横目にさらに南下。昔はこんな高速なかったはず。神戸から松江まで行くには途中まで中国自動車道であとは下道でした。「鳥取県」と縦に書かれた白いポールを何本も数えた記憶がります。今は米子道、鳥取道、松江道も開通し山陰へのアクセスも格段に良くなりましたね。さて、確か上野PAで運転手交代。
落合JCTで中国道へ入り加西SAで一休み。さらに神戸JCTから初めて新名神に乗りました。宝塚北SAの充実ぶりには驚きました。その後、京都東ICで降り湖西道路へ。京都市内を抜けて大原へ行くのは大変とのことなので大回りしてみましたが、湖西道路も案の定渋滞していました。真野ICで降り左折、「途中」という場所で更に左折して「途中トンネル」を抜け大原へ。
三千院近くの駐車場に着いたのは4時前でした。とても落ち着いていて素晴らしいです。京都の奥座敷と呼ばれる所以でしょうか。
その後、来た道を真野ICまで戻りそのまま琵琶湖大橋へ。IC付近から渋滞がひどく周りの車につられて抜け道に入ったところ対向車がガンガン詰めて来て心臓によくありませんでした。今後慣れない道では細い抜け道は控えます。とはいえ、詰めてきた車が練馬ナンバーだったのは不思議でした。
琵琶湖大橋自体は混むことなく流れていました。渡り終えてからは左折して湖岸道路へ。子供は景色よりショッピングモールの方に興味あったようです。左に琵琶湖を臨みながら湖岸道路を一路彦根方面へ。信号が少なく走りやすいです。琵琶湖を一周するのでしょうか自転車も何台か走っていました。彦根市内のマクドナルドのドライブスルーで夕食を調達。ルートイン彦根に宿泊しました。
翌朝、ホテルの部屋からの様子。
近くに川があるので朝食後川遊びに。
この日の予定はのんびり帰るだけです。当初、岐阜城や売木村に寄って中央道で帰ろうと考えていました。ところが、朝になり急遽妻が岐阜と名古屋にある義理の祖父母の墓参りをしたいと言い出したため、とりあえず彦根城に寄ってから岐阜、名古屋に向かうことにしました。彦根城のすぐ傍というか敷地内に最近甲子園に出た彦根東高校があり、あまりの立地の良さに驚きました。甲子園常連の近江高校も野球場を挟んで彦根城のすぐ傍にあり野球が盛んなことがうかがい知れました。そういえばセクシーフットボールで全国制覇した野洲高校もこの近くです。ちなみに私の本籍地も二十歳過ぎまで滋賀県、今はなき滋賀県神埼郡能登川町(現・東近江市、彦根市の隣)でした。
彦根城は国宝だけあってさすがに立派なお城でした。天守閣の中まで登ることが出来ます。
彦根城から琵琶湖を臨む |
岐阜(岐阜市斎苑)・名古屋(鳴海)でのお墓参りの様子は省略します。帰りは新名神から圏央道、中央道経由で、帰宅したのは22時頃でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿