2023-08-08

徳島紀行文を書いてみた

今年のGWはドライブ旅行に行かなかったので自宅で紀行文を書いてみました。きっかけは、ネットで偶然目にした佐川恭一さんの「踊る阿呆」(第2回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞受賞作)が面白くて、阿波しらさぎ文学賞に興味を持ったからです。ブログの延長で書いたものを送ってみましたが当然ながら落選。先月末に1,2次選考を通過した応募作品が発表されました。


最終選考にまで残った方々、おめでとうございます!

折角書いたので落選が決まったら公開しようと考えていましたが、他の人はどうしているか気になったので検索かけてみると公開されている方も多いようです。なかでもにゃんしーさんの「チャンステーマ」は高校野球経験者の私にはとても面白く、これでも落選するのか~と阿波しらさぎ文学賞のレベルの高さに恐れ入りました。また機会があれば挑戦してみようと思います。タイトルと本文は以下の通り。

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家族とドライブ、誰得、徳島紀行

 別に徳島に縁もゆかりもないのにどういうわけか、鳴門工業(現在の鳴門渦潮)出身でロッテ・WBCで大活躍した里崎智也のサトザキチャンネルと徳島商業出身で中日・MLBで大活躍した川上憲伸のカットボールチャンネルが気になってしまい、会社帰りに東京区政会館の隣にある「なっ!とくしま ローソン飯田橋三丁目店」に寄ってすだちくんの顔を見ないと調子が狂うのはどういうわけか。小学校の給食で大人気だったのは、別に近くもなく行ったこともない四国の徳島から送られてくるシャーベット状のオレンジゼリー「とくれん」で、その神戸の小学校では体育の授業で何故か阿波踊りをやらされた。神戸はカーニバルちゃうんか?なんで阿波踊り?男踊り、女踊りとか知らんし、アホとかソンソンとかそんなんやっとう暇あるんか?なんて子供が生まれる前にアメリカから帰国して三鷹に引っ越してくるまで思ってたけど、上の子がまだ小さいときに三鷹中央通りの阿波踊りを見に行ったら何故か子供がハマってしまい最終日には2人で「とびこみ連」に入って見よう見まねで踊りながら、パパは小学校の時に阿波踊り習ったからねと得意気に言い放ったのには我ながら驚いた。でも、何故こうも中央線沿線では阿波踊りが盛んなのか?歴史が浅く独自の文化がないからな、高円寺駅の発車メロディが阿波踊りなのはよその文化の受け売りで情けない限りだと関西人としては自然な解釈をしていたが、最近は考えを改めた。熱心な阿波踊り信者に聞いたところやはり本場は凄いので定期的に徳島まで勉強に行くだとか、冬の寒い時期にもかかわらず地元の中学校の体育館から阿波踊りのお囃子が聞こえてくるとう~ん、如何に多摩地区の人たちが他文化への受容性があるとはいえ、やはりあのリズムと踊りに中毒性があるのだとしか考えられなくなった。そういえば最近自分も何でか分からず阿波踊りのYouTubeを見たな。そもそも天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れしたときにアメノウズメが踊ったのが神楽の発祥であり、阿波古事記研究会の三村さんの話によるとそれこそが阿波踊りの始まりとのこと。まあ、そう考えると阿波踊りが日本中で人口に膾炙されているというのも当然か。ということは古事記の舞台はすべて阿波にあるっていう三村さんの話は本当なのか?徳島出身の特筆すべき作家、香川宜子さんと榊正志さんの作品群を読むとそんな推論がますます信憑性を帯びてくる。しかしながら、だがしかし、日本人のルーツにかかわる重大な話なのであまりに早計に結論を急いではいけない。ホツマツタヱによるとニニキネは日本各地で灌漑による水田開発を広め南九州の霧島山で亡くなられたとのこと。阿波だけで古事記の内容が収まるほど話は単純ではなさそうだ。そもそも古事記の内容自体も鵜呑みにはできない。とはいえ、徳島には神話の元となる何かがある。欠史八代にまつわる神社も点在しており、そう思わせる状況証拠が確かに存在する。実際に行って確かめるしかないのではないか。

 私が初めて徳島に行ったのは大鳴門橋が開通した直後、まだ明石海峡大橋が建設中だった頃だ。夏休みを利用した家族旅行で須磨からフェリーに乗って淡路島をドライブした際、橋ができたからついでに向こうまで行ってみようという両親の思い付きで人生で初めて四国の地に足を踏み入れた。数時間の滞在のため車窓からの街の印象しかなく、道路標識を見ながら野球に夢中だった私はやまびこ打線で有名な池田高校は何処かなあと探したことだけが記憶に残っている。次に徳島に行ったのはそれから30年後、2015年の冬休みに家族で日本三古湯めぐりのドライブをしたときだ。今度は私が運転手となり有馬、道後、白浜の順に巡ったのだが、愛媛から和歌山に行く際に徳島港からフェリーに乗った。乗船待ち時間に近くのカフェで昼食をとっている最中に聞いた地元の人たちの阿波弁(徳島弁)が神戸弁に似てるけどなんか違うので興味深かった。その次に徳島に行ったのは2019年の冬休みに家族と車で長崎原爆資料館・広島平和記念資料館を訪問した帰りの大晦日に鳴門の大塚国際美術館で半日過ごした時だ。ボランティアのガイドに付いて行けば2時間余りで古代から中世、ルネサンス、バロック、近代までの西洋絵画の発展を間近で体感することができる圧倒的にお得な美術館。複製可能な技術で再現しているので近くによって実際に触れたり、様々なアングルから眺めたり自由自在に絵画を楽しむことができた。
 
 つぎに徳島に行ったのは2021年の春休みに家族と四国をドライブした時だ。4/1に祖谷(いや)、4/2に高知の須崎に宿泊した。この頃には既に徳島の特異性に気づき始めていたので徳島を中心に周ってみたいと要望したが家族に却下され、どうしたら手っ取り早く徳島を知ることができるかと考えた挙句、最高峰の剣山(つるぎさん)に登ればいいのではないかという単純なアイデアに魅了され、家族旅行の日程に何とか組み込んでもらった。ところが、旅行直前になり「徳島県県土防災情報」サイトでルートを確認すると登山口の見ノ越までの道路は例年3月末日まで冬季通行止めとのこと。通行止め解除直後に部外者の私が不案内な山道に突っ込んで大丈夫なのか? 崖崩れのための通行規制、荒天、残雪、黄砂など様々な阻害要因をクリアして、登山初心者の妻と子供たちを連れて2000メートル近い山に登り、家族を満足させることはできるのか。楽しいはずの家族旅行が暗転してしまうのだけは避けねばならない。検討を重ねた結果、アクセスに比較的無理がなく四国随一の展望と評される三嶺(みうね)に登ることにした。
 
 祖谷に前泊し早めに登山口の名頃(なごろ)に向かう予定だったが4/2は天気が崩れる予報のため慎重を期し前日に決行することにした。そう、今回の登山は父親として失敗できない家族登山なのだ。ここで失敗してたら本来の目的であった家族で剣山なんてできっこない。4/1の早朝にホテルルートイン草津栗東を出発。名神、阪神高速から淡路島経由で高松道の板野ICで降り、一般道で藍住ICから徳島道に入り、吉野川ハイウェイオアシスで給油。南にこれから向かう剣山地を仰ぎ見た。井川池田ICで降り、やまびこ打線で夏春連覇したあの池田高校の脇を通り過ぎる。36年前の記憶がよみがえり、心の中で「いけこう、いけこう、ああ、われらがいけこう」メロディが流れた。そのまま道なりに吉野川を遡る。阿波の最深部に踏み入る心地で気分が盛り上がってきた。子供たちはまだウトウトしているようだ。ナビ通りに進むといつの間にか祖谷口から祖谷渓へ向かう山道に入ってしまい延々とうねうね道が続く。大歩危(おおぼけ)から45号線に乗るつもりだったのに間違えた!と後悔してももう引き戻せない。時間も気になるし細い山道を進むしかないと運転に集中していると、途中で下の子が酔ってしまい道路脇で嘔吐。その後は慣れない山道をゆっくり運転し10時過ぎに何とか登山口に到着した。トイレを済ましていざ登山開始。前半は視界も開けず急坂もあるため休憩をこまめに挟みのんびり登った。疲れてきたらしりとりをしたり歌ったりして励ましあった。林を抜けて笹原になると気分一転あとは山頂を目指すだけだ。周りの山々が目の前に広がり空は広く清々しい。春の陽光がまぶしくTシャツ一枚でも快適だ。妻は怖い怖いと言いながら何とか山頂まで登り切ってくれた。登り始めはどうなるかと不安で一杯だったが、山頂からの眺望も期待以上に素晴らしく最高の登山となった。下りは子供たちも調子が出てきたようで寝不足気味の私よりも足取りが軽やかだ。16時過ぎに下山。時間があれば近くの二重かずら橋に寄る予定だったが、皆疲れ果ててそのままホテル秘境の湯に直行した。へとへとだったので夕食の阿波牛弁当が殊の外美味かった。翌朝テレビを点けるとローカル番組でジャージ姿のおっさんとおばさんが阿波踊りを教えていた。やはり本場は違う。下の子はこの体験で自信をつけたのか来年も秘境の湯に泊まりたいと言いだし、私の思惑通り翌年は剣山に登ることになった。
 
 翌年も同じ日に登山計画を立てたが、あいにくの強風のため翌日に順延にし、その日は徳島市内から室戸岬まで南下し今度は高知から祖谷に向かうことにした。ルートイン甲賀水口を早朝に発ち、淡路島を縦断し大鳴門橋に差し掛かると妻がドラクエウォークのおみやげゲットのため鳴門公園に立ち寄りたいとリクエスト。鳴門北ICで一般道に降り、あの大塚国際美術館を通り過ぎ、渦潮観潮船乗り場の脇を抜けて鳴門公園へ。大鳴門橋遊歩道「渦の道」の営業時間前だったためか訪問者はまだ少ない。晴れてはいるが風が強い。海風なのか春の嵐なのか判断つかないまま家族と展望台まで散策した。巨大な人工架橋と眼下で渦巻く潮の流れのコントラストとそのダイナミズム、ここでしか見ることのできない絶景だ。イザナギとイザナミが天浮橋(あめのうきはし)から天沼矛(あめのぬぼこ)で大地をかき混ぜたときにできた渦がまさしくこの鳴門の渦潮なのではないかと古代ロマンあふれる類推に興じながら鳴門公園を後にした。鳴門JCTで徳島道に入り徳島津田ICで降り55号線で室戸岬までのロングドライブ。途中でウィンカーを出さない徳島車の洗礼を受けつつ、小松島から阿南まで広い幹線道路をひた走る。物性理論のPhDでブロガーの井口博士はこの辺にお住まいなのかと気になりながら阿南市内を過ぎると交通量もめっきり減りあとはのんびり進むだけだ。新緑の中に桜が所々咲いていて我々の目を楽しませてくれる。牟岐(むぎ)を過ぎると左に奇麗な海岸線が続き、この辺りがプロゴルファーのジャンボ尾崎とソフトバンクの森唯斗投手の豪快さを生んだ土地か、なんて思いながら道なりに南下するといつの間にか高知に入った。室戸岬周辺で半日観光し、夕刻には大豊ICで高速道路を降りた。大歩危まで北上する道中の夜桜は素晴らしかった。大歩危駅方面への橋を渡るとホテル秘境の湯まではあとわずかだ。
 
 翌日はいよいよ剣山へ。新任のイスラエル駐日大使は必ず訪れるという剣山。古代ユダヤ人がアーク(聖櫃)を隠したのではないかという話は昔から有名だ。鶴と亀の岩があり鶴亀山とも表記される。信仰の山であり阿波の最高峰。見ノ越まで行くルート国道439号線(通称、酷道ヨサク)も名頃までは踏破済みだ。通行止めは前日に解除されており、風も収まった。かずら橋夢舞台、落合集落、名頃と順調に進み、二重かずら橋を通過。この先もし前日に入った車がなければ長い冬季通行止めの後に入るのは自分が初めてということになる。落石、陥没、積雪など路面は大丈夫か。バックミラーを見ると子供たちはぐっすり寝ている。登山口までのアクセスにこれほど気をすり減らす山もそうそうない。これも剣山の与える試練か、慎重にならざるを得ない。とはいえ、一応国道なので当然ながら舗装されており無事見ノ越まで到達した。劒神社に参拝してから登山開始。しばらくすると積雪が現れた。4月だが前日までの悪天候のため残雪が多く、持参したチェーンアイゼンと軽アイゼンが役立った。曇りだが時折陽が射し視界は良い。ほぼ無風の好条件で家族と新鮮な雪山初体験。静寂の中、子供たちのしりとりの声が響き渡る。巨大な霜柱、樹氷に氷柱(つらら)そして深雪を踏みしめる感触、山頂まであっという間だ。山頂はなだらかな平地になっており古代から人が住んでいたのではないかと思わせる。対峙する次郎笈(じろうぎゅう)までの稜線が美しい。折角なので私は山頂から別行動をとり次郎笈に寄ってから下山した。これで当初の目標を達成したことになるが果たして徳島について何か知り得たかと問われると全くもって心もとない。たんに自己満足で家族を連れ回しただけかも知れない。しかし家族で徳島の最高峰に到達したというのは紛れもない事実だ。別に自慢できることでも何でもないが心の持ちようの問題なのだ。剣山でなくても何でもいい、今後高い山を見上げることがあるとして「あぁ高い山があるな」ではなく「あの山に登ったな」と思えるかどうかは全く違うのだ。若いうちにそういう体験をさせることが親の務めではないのか。なんて、自己弁護をしながら駐車場につくと家族が車で待っていた。駐車場の仮設トイレは女性には使えない状態だったので近くのラフォーレ脇のトイレに移動した。帰りはそのまま438号線で貞光方面へ降りた。道の駅「みまの里」で軽食を取ってから徳島道で徳島市内まで。前日の鳴門公園に続いて妻のドラクエウォークのおみやげゲットのため阿波おどり会館へ寄った。その日はルートイン阿南に宿泊し、翌日奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)、長谷寺を参拝してから帰宅した。
 
 そして今年の春休み前、「今度は高越山(こうつさん)と気延山(きのべやま)に行こうかな。そして神山(かみやま)の温泉に泊まればそんなに山道ひどくないから。」と、妻を誘ってみたがもう高い山はコリゴリといった感じで、一人で行ってくればとそっけない。子供も受験があるからあなたの趣味に付き合っていられないという拒絶感が滲み出ている。去年の暮れから入院中の父と独居中の母のことも気に掛かる。これで家族との気ままな徳島ジャーニーも打ち止めか。名残惜しいが家族のライフサイクルには逆らえない。これまで2年連続で縁もゆかりもない徳島によく付き合ってくれました。高所恐怖症で祖谷のかずら橋さえも渡れなかった妻には三嶺・剣山まで登ってくれてありがとうと感謝するしかない。すでに最高峰は踏んでいるのだから無理して他の山にカツガツ登らなくてもいいかという精神的な余裕も私にはある。史跡巡りも含めあとは老後の楽しみに取っておいてひとまず大歩危茶でもすすりながら一服するか。眼を閉じると不思議と海部(かいふ)の穏やかな海岸線が胸に迫ってきた。

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参考サイト

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