2020-04-30

SageMathCloudがCoCalcになっていた

先日、簡単な数値計算をする必要があり以前使ったことのあるSageMathCloud

http://www.sagemath.org/index.html

というのを立ち上げたところ、オンラインのクラウドサービスは CoCalc

https://cocalc.com/

という名称に変わっていました。6年前に作ったアカウントでしたが何とかログインでき、古いファイルも残っていました。SageMathは無料のオープンソース数値計算システムで充実した機能がそろっています。(対応するソフトウェアについてはこちらから。)個人的にはRスクリプトもそのまま実行でき、LaTeXファイルの実行PDF化も簡単に行ってくれるのでその便利さに感動した記憶があります。最近は数値計算をする機会が無かったので忘れかけていましたが、それは私が怠惰なだけでSageMath自体は発展・進化を続けているようです。

SageMathは数論研究者のWilliam Steinさんが2006年以前に一人で立ち上げたプロジェクトでその先見性には驚くしかありません。SageMath/CoCalcはMathematicaと比べてもよりアクセシブルなのでもっと普及してもいいはずですがあまり知られていません。確かに専門性の高い内容を含むので敬遠される人もいるかもしれませんが、数学に興味ある方は是非アカウントを作成してみてはいかがでしょうか?

このようなありがたいサービスは Steinさんのような理想と情熱を持ち合わせた奇特な方でないと発想し実現できないことだと思います。このシステムを持続発展させるには常人では及びもつかない苦労があったそうです。その経緯がこちらで紹介されています。Cocalcに専念するためワシントン大学の教授職を辞して会社を立ち上げたそうです。今後は有料サービスへの流入を加速させビジネスとしてもさらに発展していってもらいたいです。

2020-04-24

2012年早春の表丹沢 子連れ登山

初めて丹沢に行ったときの記録です。山行日は2012年3月25日(日曜日)。早朝に出発して電車を乗り継ぎ小田急秦野駅到着。なんとか始発の満員バスに乗せてもらいヤビツ峠まで。この時、長女5歳。このころは週末に家族3人で登山することが多く、高尾山・奥多摩周辺の低山に登っていましたが、今回が初の遠征。5月になるとヒルが出るそうなのでこの時期に行くことにしました。行程が長いので少し不安でしたが、ダメならおんぶすればいいかと登り始めました。


塔ノ岳へ向かう途中からだんだん視界が開けてきました。


2020-04-23

シジュウカラがやって来た2020:餌やり鋭意継続中

最近は外出自粛中なので家の前で素振りをしています。左利きなので昔は右で振ることは無かったのですが、もう野球の試合に出ることもないので左右のバランスを考えて右でも振るようにしています。ちょうどテニスの両手バックハンドになるのでスイングスピードにも意識しています。昨日は左右でそれぞれ100回。少し筋肉痛気味です。右バッターになったつもりで両手を絞るように持つとちょうどテニスで左手をコックする形になるということに気づきました。バックハンドボレーが苦手なのでいつになるか分かりませんが次回の実践の機会までこの感覚を忘れないようにしておきたいと思います。手首を絞ってバットを立てるイメージで振ると右でもだいぶ自然に素振りができるようになりました。

素振りをしながらシジュウカラの巣箱を観察していると、親鳥が活発に餌やりに来ています。私が居ると巣箱に入るのをためらって警戒音を発するので見えないところに隠れてあげますが、それでもまだ用心しているようでなかなか入ってくれません。野鳥の本能でしょうか警戒心が強いです。餌をくわえながらじっと高い所から様子を伺っています。


古いデジカメで撮ったので雑音が混ざっています。しびれを切らしたのか親鳥が巣箱に入ったのでもう一度、動画を撮りました。5秒だけですが巣箱から出てくるしっちゃん(我が家でのシジュウカラの愛称)の姿をとらえました。

2020-04-17

シジュウカラがやって来た2020:産卵、抱卵から餌やりへ

先日のエントリーで紹介した玄関脇の巣箱


にシジュウカラが卵を産んでくれました。(4/2)


巣作りしていたのは知っていたのですが、その後気配がないので長女に頼んで巣箱を覗いてもらいました。

4/5 家の前の電線にとまるオス

その後、巣箱が気になって仕方ありませんでしたが、中をの覗くと逃げてしまうかもしれないのでそのまま放置していました。シジュウカラの鳴き声が聞こえると、まだいるのかなあなんて一喜一憂していました。今日(4/17)のお昼に庭木の剪定がてら外に出てみるとシジュウカラが巣箱に出入りしているのを確認しました。ヒナがかえったのでしょうか?鳴き声はほとんどしませんが、親鳥が巣箱に入ると少し鳴き声が聞こえてきます。かえったばかりでまだ小さい声しか聞こえませんがとにかく一安心です。

庭木の剪定:キンモクセイ 強剪定から1年

去年バッサリ切ったキンモクセイの様子です。


左側(南向き)の枝が隣に伸びていたので除きました。参考までに1年前の様子は以下の通り。


今年もハナミズキが咲いてくれました。


もう枯れてしまいましたがチューリップも咲いてくれました。



以上です!

2020-04-13

今でも記憶に残るおすすめ映画 70選

外出自粛なので自宅で映画鑑賞でもどうですか?今回のエントリーでは個人的におすすめの映画70本を紹介します。映画と聞いてまず思い出すのは小学校1年生の時に神戸三宮の映画館で父と2人で「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」(1981年)を観に行ったことです。その日の帰りから高熱が出て、熱がなかなか引かず結局、川崎病と診断され小学校1年生の3学期から2年生の1学期まで神戸海星病院で入院生活を送りました。入院中はドラえもんの漫画ばかり読んでいた記憶があります。小学校高学年になると家庭にVHSビデオ・レコーダーが普及し我が家でもレンタルビデオで映画を楽しみました。スーパーマン、マイ・フェア・レディ、サウンド・オブ・ミュージックを観た記憶があります。とくに「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)は母が好きだっのでテープにとって何度も観(させられ)ました。小学6年生の時、5、6人ぐらいの友達と一緒に1人100円出して誰かの家で映画みようということになり、私も100円出したのだけど何かの都合で私は観れませんでした。その時、借りた映画が「ビー・バップ・ハイスクール」(1985年)と「天空の城ラピュタ」(1986年)でした。この組み合わせはあの時代の小6男子にしかできないチョイスだったなあと今では感慨深いです。

中学になってからは勉強と部活で忙しく、映画は不良とお子ちゃまが観るものだと理解していました。ただ、正月映画の「男はつらいよ」は大好きで、中学2年の冬休みには好き過ぎて1人で渋谷の映画館で「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(1988年)を観に行きましたが、あまり面白く感じませんでした。高校になってすぐにクラスメイトの女の子が「いまを生きる(Dead Poets Society)」(1989年)がすごい良かったから是非観るといいよとすすめてくれたので、週末に1人で初めて新宿に行って途中迷いながらもなんとか時間ぎりぎりに映画館を見つけて「いまを生きる」を観たのはいまでも良く覚えています。学校制度とか教育ということに疑問を持っていたので映画の内容がとても共感でき、こんないい映画があるのか~と感激しました。あの感動は15歳の時にしか味わえない強烈なものだった気がします。アメリカの大学院時代にアイビーリーグの秀才たちと接する機会がありましたが、あの映画で描かれていたようなボーディングスクール育ちの学生気質を垣間見た気がしました。日本でも昔の旧制高校はあのような感じだったのでしょうか。

高校時代も勉強と部活、学校行事に忙しく、映画どころではありませんでしたが、浪人中は打って変わって時間を持て余したので毎日のように映画を観ていました。当時は夜にBS映画劇場(NHK)というのが国内外の名作を連日放送していたのでそれを熱心に観ていました。大学入学後も当時教養学部長で後の学長の蓮見重彦先生の映画論というのを聴講したりして、映画の興味を持続させていましたが、文系の人達の高尚な議論には付いて行けませんでした。個人的には映画への学術的なアプローチには違和感があり、もっと娯楽として単純に楽しめばいいと思います。その点で淀川長治さんと町山智浩さんは最高の映画評論家だと思います。

学部生のころは第二外国語でスペイン語を勉強していた影響でスペイン、イタリアの映画をよく観ていました。大学院でアメリカに行ってからは、ヨーロッパの映画を観る機会は減りアメリカ映画ばかりでした。アリゾナでは家にテレビがなく大学の劇場だと料金が2ドルだったので週2回ぐらい観ていました。ニューヨークに移ってからも格安の劇場(4ドルとか?)に週末通っていましたが、安すぎたためかさすがに途中でつぶれてしまいました。家にテレビを置いてからはテレビでもたまに観ましたがコマーシャルが多すぎてダメでした。2003年ごろから時間に余裕があるとリンカーン・センターにある映画館によく通いました。ちょうど2003年に小津安二郎の生誕100年記念の映画祭があり小津映画を堪能したのはいい思い出です。その時、同じ松竹映画の「砂の器」(1974年)が上映されたのですが、その上映前になんとあの山田洋次監督が橋本忍さんとの脚本制作の裏話などをしてくれて感激しました。小津安二郎の作品はBS映画劇場や蓮見重彦御大の講義などでもちろん知っていましたが、あの時の映画祭で系統立てて劇場で鑑賞できたのはとても贅沢な体験でした。「早春」(1956年)を観終わったあとトイレで中年のアメリカ人にあの映画には人生の全てが詰まってるねえと話しかけられた時は何故か嬉しく感じたもののまだ20代の私はどう返事していいかわからずアルカイク・スマイルでごまかしました。また、「秋刀魚の味」(1962年)の軍艦マーチのくだりをNYで観れたのは不思議な感じでしたが、あのシーンは今でも忘れられません。


日常の会話のなかでユーモアを交えて太平洋戦争について総括をするという離れ業が、淡々とした小津調とともに進行していきます。戦前戦後に活躍した文化人の中でここまでハッキリと戦争について個人的な感想を表現した人がいたでしょうか?表現者としての自負と責任が無いとできないことですが、そのような力みを軽々と超越して、その表現は上品で優しくて悲しくて笑えるのです。まだ観ていない人は一度ご覧ください。

さて、話がまとまらないので、ここで個人的に印象深かった名作映画70本を紹介します。以下の通りです。

2020-04-06

小学校入学おめでとう!

今日は下の子の小学校の入学式がありました。新型ウイルスの影響で開催が危ぶまれましたが、関係者の努力でなんとか短縮開催されました。児童一人につき保護者一人だけの参加という条件付きでしたが、やってくれただけでもありがたかったです。明日からはまた一ヵ月休校とのことですが、晴れて一年生になりました。


2020-04-01

保育園最終日&学童保育初日

昨日で1年のブランクを挟んで通算13年間の保育園送り迎え生活がようやく終了しました。誰も褒めてくれないのでここでアピールさせてください。


保育園最後の日、園庭で。


お世話になりました!