2019年の年末は26日から31日まで念願の広島・長崎を訪問しました。私の第一の目的は原爆関連の資料館を見て回ることでしたが子供たち(6歳、13歳)はそれではつまらないだろうから途中でいろいろと家族サービスも行いました。長崎原爆資料館は28日までで閉館するため最初に長崎によって、翌日の29日に広島平和記念資料館に行きました。どちらの資料館とも充実した展示内容でとても勉強になりました。
長崎到着は28日のお昼過ぎ。平和公園地下の駐車場にとめました。
その後、爆心地公園経由で原爆資料館へ移動。
被爆前後の長崎の町の様子を眺めつつ展示室に導かれると、原爆投下時の被害状況をプロジェクトマッピングで丁寧に説明している展示物があり興味深く、繰り返し視聴しました。そのすぐ脇にプルトニウム爆弾、通称ファットマン(ふざけた名前です!)、の実寸大展示がされており圧倒されました。広島の被害についてはある程度知っていましたが、長崎の被害の詳細については今回初めて知りました。
原爆投下後の悲惨な状況については下の子は怖くて全く見れなかったようですが上の子は中学生なりに理解したようです。観覧者の中には小学生ぐらいの子供たちもおり、感極まってすすり泣いている声が聞こえました。私も思わず涙腺が弱まりました。最近ご訪崎されたローマ法王のメッセージも展示されていました。日本のカトリック信者にとっては長崎は特別な場所です。私は無宗教な人間ですが、原爆資料館の後に訪問した大浦天主堂
で再認識しましたが敬虔深い方々の忍耐力・メンタルの強さには感服するしかありません。原爆資料館の展示内容の最後に紹介されていた長崎市のメッセージは力強かったです。これまで原水爆実験が行われるたびに長崎市は反対声明を公表しています。それでも核保有国の数が増え続けていることは大局的に考えればどうみてもおかしなことです。唯一の被爆国として核兵器廃絶を訴えることを日本の国是として One Team でスクラムを組むことがどうしてできないのかともどかしく感じ、日本国民として情けない気分になりました。主張すべきは主張しないと外国($\simeq$ 米中露)からもポリシーのない国だとなめられると思いますが、どうなのでしょう?ただ、日米安全保障条約で核の傘に守られているうちは核廃絶を訴えても説得力ないし、かといって核を持たずに安保破棄するのは現実的ではないよなぁ。などなど、結局、その日はあれこれ考えながら寝てしまいました。
翌日は一路広島へ。途中で妻に運転を代わってもらいつつ
広島の平和公園に到着したのは14時前でした。
平和記念資料館は2019年にリニューアルされたそうで僅か200円(長崎と同じ)で充実した展示資料を観覧できました。展示の流れは長崎とほぼ同じでした。導入部で原爆投下前後の町の様子を展示し、その後、プロジェクトマッピングで原爆投下時の被害状況を鳥瞰する展示物があり、それに続いて実際の悲惨な被害状況の展示、核兵器拡散の歴史と現状、非核化に向けての被爆地の取り組みなどが紹介されています。
最近リニューアルされただけに広島のプロジェクトマッピングは長崎のものよりも直径が2倍ほどあり迫力がありました。年内最後の開館日ということもあり入口から出口まで行列続きでした。連日の資料館訪問で気が滅入りそうだったので被害状況の展示コーナー(本館ギャラリー)は横目で眺めながら素通りしました。
渡り廊下伝いに東館へ戻ると長崎の原爆資料館と同じように原子爆弾の原理などが簡単に紹介されていました。以前は展示されていたそうですが、広島のウラン原爆、通称リトルボーイ(これもふざけた名前!)、の実寸大模型はありませんでした。(その経緯については例えばこちらのレポートを参考にしてください。)広島・長崎の原爆関連資料館の展示目的はもちろん原爆の悲惨さを後世に伝えることですが、そのような惨事が何故起きてしまったのか。戦争だからで片付く問題でしょうか。もちろん国際社会の動向、政治力も重要な要因ですが、結局のところ原子爆弾を作ってしまったという事実に突き当たってしまいます。1940年代の原子物理学の粋を集めた技術だとしても、2020年に生きる私たちに理解できないはずはありません。広島の平和記念館には核分裂反応を小学生にも分かるように説明されていましたが、私の経験上、原爆の原理はやはり量子力学、(特殊)相対性理論を知らなければ分かりません。以前のエントリーでも触れましたが、中学・高校の早いレベルで素粒子のクォーク模型を少なくとも知識として学べるようにしてもらえれば、意欲のある学生は量子力学、相対性理論を学ぼうと思うのではないでしょうか。原発の問題も含めて核力の知識は現代社会で必須の項目なので早期のカリキュラム変更を期待します。そうすれば日本人の科学的な素養も高まり、原爆被害の悲惨さについての科学的な側面についてもより理解が深まるはずです。
広島のウラン原爆、長崎のプルトニウム原爆の爆破力はそれぞれ
広島: およそTNT換算16キロトン $\simeq 67 \times 10^{13} $J
長崎: およそTNT換算21キロトン $\simeq 88 \times 10^{13} $J
です。ただし、TNT換算1グラムは1000カロリー[cal]= 4.184$\times 10^3$ジュール[J]と定義される。
1945年12月末までに亡くなった人の数はそれぞれ
広島:約14万人
長崎:約7万4000人
です(合掌)。爆破力は長崎のほうが大きかったようですが、爆心地が山に囲まれていたことと人口が少なかったため被害者の数は長崎のほうが少なく、一方、広島は人口が集中する平野に(意図的に)投下され、警報が遅れたため信じられないほど多くの一般市民が犠牲になりました。(ボランティアの方の解説によるとなぜか軍事関係者の犠牲者は僅かだったそうです。)ガンジーが残した7つの社会的罪 (Seven social sins) のなかに人間性のない科学 (Science without humanity) という有名な言葉がありますが、今回の資料館訪問で何度もこの言葉を想起しました。
今回のエントリーを書くに当たり参考になったサイトは
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/184880/1/PS_2013A_19.pdf
https://artscape.jp/report/curator/10156863_1634.html
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/20226
です。芸術家、学芸員といった専門家によるレポート(2,3番目のURL)は読みごたえがあり勉強になりました。その他、広島の平和記念館リニューアルについては色々なメディアで取り上げられているようですが科学的な視点からのレポートが少ないように感じました。原爆被害の悲惨さを強調するだけでは非核化は実現できません。国民が現代科学への素養を高めて科学技術の平和利用を訴え続ける必要があります。それには日本が科学技術を常にリードする国でなければ説得力がないでしょう。その意味でも現在計画されている国際リニアコライダー (ILC) を誘致して、日本が素粒子研究の一大拠点となり国際交流が促進されることを期待します。
最後に日没後に再訪した原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑の様子を添付します。
長崎到着は28日のお昼過ぎ。平和公園地下の駐車場にとめました。
その後、爆心地公園経由で原爆資料館へ移動。
被爆前後の長崎の町の様子を眺めつつ展示室に導かれると、原爆投下時の被害状況をプロジェクトマッピングで丁寧に説明している展示物があり興味深く、繰り返し視聴しました。そのすぐ脇にプルトニウム爆弾、通称ファットマン(ふざけた名前です!)、の実寸大展示がされており圧倒されました。広島の被害についてはある程度知っていましたが、長崎の被害の詳細については今回初めて知りました。
原爆投下後の悲惨な状況については下の子は怖くて全く見れなかったようですが上の子は中学生なりに理解したようです。観覧者の中には小学生ぐらいの子供たちもおり、感極まってすすり泣いている声が聞こえました。私も思わず涙腺が弱まりました。最近ご訪崎されたローマ法王のメッセージも展示されていました。日本のカトリック信者にとっては長崎は特別な場所です。私は無宗教な人間ですが、原爆資料館の後に訪問した大浦天主堂
で再認識しましたが敬虔深い方々の忍耐力・メンタルの強さには感服するしかありません。原爆資料館の展示内容の最後に紹介されていた長崎市のメッセージは力強かったです。これまで原水爆実験が行われるたびに長崎市は反対声明を公表しています。それでも核保有国の数が増え続けていることは大局的に考えればどうみてもおかしなことです。唯一の被爆国として核兵器廃絶を訴えることを日本の国是として One Team でスクラムを組むことがどうしてできないのかともどかしく感じ、日本国民として情けない気分になりました。主張すべきは主張しないと外国($\simeq$ 米中露)からもポリシーのない国だとなめられると思いますが、どうなのでしょう?ただ、日米安全保障条約で核の傘に守られているうちは核廃絶を訴えても説得力ないし、かといって核を持たずに安保破棄するのは現実的ではないよなぁ。などなど、結局、その日はあれこれ考えながら寝てしまいました。
翌日は一路広島へ。途中で妻に運転を代わってもらいつつ
広島の平和公園に到着したのは14時前でした。
平和記念資料館は2019年にリニューアルされたそうで僅か200円(長崎と同じ)で充実した展示資料を観覧できました。展示の流れは長崎とほぼ同じでした。導入部で原爆投下前後の町の様子を展示し、その後、プロジェクトマッピングで原爆投下時の被害状況を鳥瞰する展示物があり、それに続いて実際の悲惨な被害状況の展示、核兵器拡散の歴史と現状、非核化に向けての被爆地の取り組みなどが紹介されています。
最近リニューアルされただけに広島のプロジェクトマッピングは長崎のものよりも直径が2倍ほどあり迫力がありました。年内最後の開館日ということもあり入口から出口まで行列続きでした。連日の資料館訪問で気が滅入りそうだったので被害状況の展示コーナー(本館ギャラリー)は横目で眺めながら素通りしました。
東館へ戻る渡り廊下から |
渡り廊下伝いに東館へ戻ると長崎の原爆資料館と同じように原子爆弾の原理などが簡単に紹介されていました。以前は展示されていたそうですが、広島のウラン原爆、通称リトルボーイ(これもふざけた名前!)、の実寸大模型はありませんでした。(その経緯については例えばこちらのレポートを参考にしてください。)広島・長崎の原爆関連資料館の展示目的はもちろん原爆の悲惨さを後世に伝えることですが、そのような惨事が何故起きてしまったのか。戦争だからで片付く問題でしょうか。もちろん国際社会の動向、政治力も重要な要因ですが、結局のところ原子爆弾を作ってしまったという事実に突き当たってしまいます。1940年代の原子物理学の粋を集めた技術だとしても、2020年に生きる私たちに理解できないはずはありません。広島の平和記念館には核分裂反応を小学生にも分かるように説明されていましたが、私の経験上、原爆の原理はやはり量子力学、(特殊)相対性理論を知らなければ分かりません。以前のエントリーでも触れましたが、中学・高校の早いレベルで素粒子のクォーク模型を少なくとも知識として学べるようにしてもらえれば、意欲のある学生は量子力学、相対性理論を学ぼうと思うのではないでしょうか。原発の問題も含めて核力の知識は現代社会で必須の項目なので早期のカリキュラム変更を期待します。そうすれば日本人の科学的な素養も高まり、原爆被害の悲惨さについての科学的な側面についてもより理解が深まるはずです。
広島のウラン原爆、長崎のプルトニウム原爆の爆破力はそれぞれ
広島: およそTNT換算16キロトン $\simeq 67 \times 10^{13} $J
長崎: およそTNT換算21キロトン $\simeq 88 \times 10^{13} $J
です。ただし、TNT換算1グラムは1000カロリー[cal]= 4.184$\times 10^3$ジュール[J]と定義される。
1945年12月末までに亡くなった人の数はそれぞれ
広島:約14万人
長崎:約7万4000人
です(合掌)。爆破力は長崎のほうが大きかったようですが、爆心地が山に囲まれていたことと人口が少なかったため被害者の数は長崎のほうが少なく、一方、広島は人口が集中する平野に(意図的に)投下され、警報が遅れたため信じられないほど多くの一般市民が犠牲になりました。(ボランティアの方の解説によるとなぜか軍事関係者の犠牲者は僅かだったそうです。)ガンジーが残した7つの社会的罪 (Seven social sins) のなかに人間性のない科学 (Science without humanity) という有名な言葉がありますが、今回の資料館訪問で何度もこの言葉を想起しました。
今回のエントリーを書くに当たり参考になったサイトは
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/184880/1/PS_2013A_19.pdf
https://artscape.jp/report/curator/10156863_1634.html
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/20226
最後に日没後に再訪した原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑の様子を添付します。
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