2019-06-24

中性$K$粒子系と弱い相互作用での$CP$対称性の破れ3:ナイアの教科書から

前回のエントリーの続きです。2回に渡り長々と$K^0 \bar{K^0}$系の弱い相互作用に現れる$CP$対称性の破れについて議論してきましたが、最初のエントリーの冒頭でも触れたように「$CP$対称性の破れは理論上は存在してもおかしくない反物質がなぜ我々の世界には見られないのかを説明する有力な手掛かりとなっている」のでその点について今回は、以前こちらで紹介したナイアの最近の教科書


の該当箇所を翻訳する形で紹介したいと思います。

弱い相互作用の$CP$対称性の破れは1960年代の素粒子物理学が理論・実験共に黄金時代を迎えていたころに発見されたものですが、その頃の素粒子物理学を牽引していたジャイアンツの1人で「クォーク」という用語を命名したマレイ・ゲルマン (Murray Gell-Mann) が先月亡くなられたそうです。ゲルマンと言えば大学生のころに


読みましたが、内容は今では良く覚えていません。ゲルマンが晩年に研究していた複雑系の話が多く、ノーベル賞受賞に至った素粒子物理の話は期待していたほど載っていなかった印象があります。素粒子物理の黄金期のころの話はゲルマンが生い立ちから晩年の研究に至るまでの回想を語った貴重なインタビュー動画


のなかで様々に語られています。ストレートな語り口で面白かったです。また、ゲルマンの学生の一人で同僚でもあったスティーブン・ウルフラム(Stephen WolframMathematicaWolfram Alphaの創始者)が個人的なエピソード交えた感動的なメッセージをこちらに公開しています。このなかでウルフラムが素粒子物理学の黄金時代(ゲルマンが八面六臂の活躍をした1960~1970年代)に成された重要な発見が人口に膾炙されていないことを嘆いています。興味深かったので原文を引用します。
At the time, it seemed to me like the most important discoveries ever were being made: fundamental facts about the fundamental particles that exist in our universe. And I think I assumed that before long everyone would know these things, just as people know that there are atoms and protons and electrons.
But I’m shocked today that almost nobody has, for example, even heard of muons --- even though we’re continually bombarded with them from cosmic rays. Talk about strangeness, or the omega-minus, and one gets blank stares. Quarks more people have heard of, though mostly because of their name, with its various uses for brands, etc.
To me it feels a bit tragic. It’s not hard to show Gell-Mann’s eightfold way pictures, and to explain how the particles in them can be made from quarks. It’s at least as easy to explain that there are 6 known types of quarks as to explain about chemical elements or DNA bases. But for some reason --- in most countries --- all these triumphs of particle physics have never made it into school science curriculums.
And as I was writing this piece, I was shocked at how thin the information on “classic” particle physics is on the web. In fact, in trying to recall some of the history, the most extensive discussion I could find was in an unpublished book I myself wrote when I was 12 years old! (Yes, full of charming spelling mistakes, and a few physics mistakes.) 
確かに物質を構成する基本粒子としてクォークとレプトンを知識として教えるのは化学元素やDNAの核酸塩基について教えるのと同じぐらい重要だと思います。現在のカリキュラムでは大学の物理学科に入らない限りクォーク模型について授業で習う機会がないのは人類の未来にとって残念なことです。ウルフラムも指摘するように今や「古典」ともいえる1960~1980年代の素粒子物理学の成果がネット上であまり共有されていないのはショッキングなことと言えるでしょう。そのような思いもあり今回の一連のエントリーでは昔のノートを取り出して$CP$対称性の破れについての復習過程をブログに公開することにしました。

最後のまとめとして以下では上述の通りナイアの教科書の議論を紹介します。標準模型の枠組みで$CP$対称性の破れを記述するにはクォークが3世代ないと説明つかないこと(小林・益川モデル)についての議論の後に続く部分(252~255ページ)の意訳です。


同様なことがレプトンにつても言えるのではないかと疑問に思う人もいるだろう。もしニュートリノが質量を持たなければ、対応する$V$行列(PMNS行列)は恒等行列になる。しかしながら、今や我々はニュートリノが質量を持ち異なる世代間で混合することを知っている。いわゆるニュートリノ振動だ。したがって、レプトンにも同様な機構が存在する可能性があるが、全く同じという訳ではない。というのも、カイラリティの左右によってニュートリノの質量が違うためである。これは低エネルギーの物理ではカイラリティが左(左巻き)のニュートリノしかほとんど現れないことから分かる。つまり、右巻きニュートリノははずっと重い質量を持たなければならない。そのためニュートリノ混合が起きる詳細は小林・益川モデルとは少し異なるはずである。また、これまでの実験ではニュートリノ混合について全ての混合過程とニュートリノの質量を充分精密には観測されていない。ニュートリノ質量についてはまた後でコメントする予定である。

つぎに別の疑問について取り上げよう。なぜ$CP$対称性の破れという微小な効果がそれほどまでに重要なのか?あるいは、標準模型の中のこのごく僅かな側面についてなぜこれほど注目しなければならないか?その答えはなぜこの世界が物質であふれていて反物質がごく僅かしかないのかという謎と関係している。強い相互作用と電磁相互作用は物質と反物質について完全な対称性を持つので、反原子や反分子などが生成されることを妨げない。そのため、反物質の世界は可能であるように思われる。さらに、非常な高温であった宇宙の初期には全ての粒子は熱的平衡状態にあった。温度が充分に高いので物質と反物質の熱生成は可能である。平衡状態であるとは様々な反応が複雑にバランスを取っていると考えられるので、もし正反応と逆反応が同じ反応速度を持つとすると基本的に同じ数だけの粒子と反粒子が生成される。宇宙が冷えるとそれらの物質と反物質は対消滅してしまい、最終的には光子だけの宇宙あるいは、もし運が良ければ、物質と反物質が点々と存在する宇宙になると考えられる。しかしながら、現実にはそうではない。この世界はほぼ完全に物質で作られている。このことは宇宙線に反物質がないという直接的な証拠からも分かるし、物質・反物質の消滅で生成される高エネルギー光子の証拠がないことやその他の観測からも分かっている。これは主にバリオンが反バリオンにたいして優勢であるという非対称性によるものである。なぜなら、我々が最も簡単に観測できるのがバリオンだからである。この非対称性を定量的に特徴付ける指標として宇宙に存在するバリオンの平均数密度$n_B$と光子の数密度$n_{\ga}$との比率$n_B / n_\ga$が用いられる。反バリオンは無視できるので、この指標はまた$(n_B - n_{\bar B} ) / n_\ga$ともみなせる。天文物理的な観測から定量的に
\[
\frac{n_B - n_{\bar B} }{ n_\ga } \approx 5 \times 10^{-10}
\]
となる。

この値をどのように理解すればよいであろうか?何年も前1967年にアンドレイ・サハロフは初期宇宙において以下の3条件が与えらればある種の粒子の優勢、例えば反物質に対する物質の優勢が期待できると議論した。これらの3条件とは

  1. バリオン数を保存しない基礎反応
  2. $C$と$CP$(あるいは$T$)を保存しない基礎反応
  3. 宇宙の非平衡的な進化

最後の条件は実際には得られている。なぜなら、宇宙は膨張しているので、たとえ局所的・一時的には平衡状態にあるとしても全体的にみれば平衡状態にはないためである。弱い相互作用における$C$と$CP$対称性の破れは2番目の条件も満たされていることを示している。(よって、$CP$対称性の破れの重要性は物質が反物質に対して優勢であるという観測事実を説明できる潜在性にある。)1番目のバリオン数を破る反応についてはどうであろうか?標準模型にそのような反応が存在するが、それはとても非摂動的な過程を通したものであり、その反応率は非常に小さく、指数関数的な小ささで典型的な反応率の$10^{-137}$のオーダーになる。(これは、電弱理論のインスタントンと呼ばれるものによる。)しかしながら、温度に依存する効果により反応率が高まる可能性もある。したがって、原理的には上記の3条件はすべて満たされるが、残念ながらこれまでの計算では定量的な一致を見るに至っていない。つまり、標準模型においてバリオン数の破れの程度がどれぐらいなのかまだ十分には理解されていない。

バリオン数を破る相互作用が他にもあるとすればどうなるであろうか?標準模型では弱い相互作用と電磁気相互作用は($SU(2) \times U(1)$理論に)統一される。しかし、($SU(3)$カラーゲージ対称性をもつ)強い核力は個別に並立し電弱相互作用とは統一されない。これらがゲージ対称性についてある一つの群のもとで統一されると仮定すると、全てのゲージ場はある一つのヤン-ミルズ作用で記述できる。そのような理論は大統一理論と呼ばれ、重力を除くすべての相互作用を統一すると考えられる。もしそのような理論があれば、クォークとレプトンを直接結び付ける相互作用がわかり、バリオン数を破る遷移も導かれるはずである。この大統一理論のアイデアは1970年代初頭から提唱され、研究されている。これらの候補として$SU(5)$理論、$SO(10)$理論があり、よりエキゾチックな$E_6$理論と呼ばれるものもある。これらの理論の特徴は陽子崩壊の予言であろう。というのも、陽子はこれまでに知られている相互作用では崩壊しないからである。もちろん、陽子は非常に安定しているので、その崩壊率は非常に小さいはずである。大統一理論が提唱された当初の期待では、陽子の寿命は$10^{32}$年のオーダーであると考えられた。これは$10^{32}$個の陽子(およそ$10^5$キログラムの質量)を1年観測すれば、1つの陽子崩壊は幻想を見れることを意味する。当然、その検出は簡単ではない。しかしながら、実験面では陽子崩壊検出のため多くの努力が払われてきた。そのもっとも有名なのが日本の神岡で行われている核子崩壊実験(nucleon decay experiment; nde)であり、神岡(Kamioka)と合わせてカミオカンデ(Kamiokande)と呼ばれている。観測ノイズを最小限に減らすため検出器は宇宙線から遮蔽される必要がある。そのため検出器は地下深くに設置されおよそ3000トンの純水の入ったタンクで出来ておりその内側面は1000本の光電子増倍管で覆われている。純水の中に含まれる陽子が崩壊するときに発生すると予想されるチェレンコフ放射を光電子増倍管で観測することを目指している。(訳注:現在ではスーパーカミオカンデに大幅にバージョンアップされ、50,000トンの純水と11,200本の光電子増倍管からなる検出器が使用されている。陽子崩壊検出の詳しい説明についてはこちらから。)これまでの実験結果から陽子寿命の下限が$\tau_{proton} \gtrsim 10^{34}$年と推定されている。

結局のところ我々はどこまで分かっているのだろうか?物質と反物質の非対称性を説明するアイデアは様々にあるが、$CP$対称性の破れは現実であり精度よくテストされている。一方、バリオン数の破れにはそれほどの確証はない。したがって、現状では、我々はまだなぜ宇宙に反物質より物質のほうが多くあるかについて定量的に満足いく説明を得るに至っていない。

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