最近発表されたプレプリント arXiv:1908.04115 [hep-th] についてです。タイトル "Notes on anomalies, elliptic curves and the BS-D conjecture" を見てとうとうarXiv[hep-th]にもにBSD予想に関連する論文が出るようになったかと興味深く読みました。標準模型と同じタイプの$SU(N) \times SU(2) \times U(1)$ゲージ理論におけるアノマリー相殺の計算を楕円曲線の3次式と関連付け、その階数の計算から$U(1)$ハイパー電荷にどのような制限がかかるかを議論したものです。
標準模型ではカラー自由度が$N=3$で与えられ、(弱い相互作用を受ける)左巻きのクォーク・レプトンは$SU(2)$のダブレット(2重項)表示されるが、この論文では先月発表された arXiv:1907.00514 [hep-th] を参考にして、$N$を任意の自然数にとり左巻きのクォーク・レプトンを$SU(2)$のマルチプレット($q$重項)表示されると仮定して、標準模型の類推からアノマリー相殺の関係式を導出し、$q=3$の場合にこの関係式が射影平面$\mathbb{P}^2$上の非特異な平面代数曲線(楕円曲線)とみなせることを示している。このような仮定($q=3$)は現象論的に現実的ではないため、素粒子論としての応用はあまり期待できないものの、楕円曲線の階数は数論において重要な研究対象なので物理的なアプローチから階数の解析がなされるのは興味深い。
楕円曲線はMordell-Weil群と呼ばれるアーベル群 $E( \mathbb{Q} )$ と関連付けられ、これは$E( \mathbb{Q} ) = \mathbb{Z}^r \oplus T$と表される。ただし、$T$はねじれ(torsion)群と呼ばれる有限部分群であり、$r$は階数(rank)である。この論文の主要な結果は、「上記アノマリー相殺の関係式から導かれる楕円曲線の階数は$N=3,9$のとき$r=0$となり、それ以外の$N$では$r>0$となる」というものである。アノマリー相殺の関係式に還元すると、これは「スケール因子を除くと$U(1)$ハイパー電荷が$N=3,9$の場合にはユニークに決まるが、$N \ne 3,9$の場合はハイパー電荷は無限に選べる」と言い換えられる。
これらの結果を補足・確認するのに楕円曲線のデータベース
http://www.lmfdb.org/EllipticCurve/Q/
が用いられている点も面白い。私も以前からこのLMFDBで遊んでいましたが、実際に物理の論文で使われているのを見ることはありませんでした。この論文ではLMFDBを用いて、実際に$N=3,9$に対応する楕円曲線がランク0($r=0$)であること及び$N<34$の範囲では$N\ne 3,9$に対応する楕円曲線は$r \ge 1$であることが確認されている。
さらに、$r=0,1$においてBSD予想が正しいことが知られている(Kolyvaginの定理)ことから上記の楕円曲線が$N=3,9$において$r=0$であることが確認されていることも興味深い。ここでBSD予想(BSDランク予想とも呼ばれる)とは「楕円曲線$E$の$L$関数 $L(E, s)$ を $s=1$ についてテイラー展開 $L(E,s) = C (s-1)^r + \cdots $ ($C \ne 0$)すると、$r$は楕円関数$E$の階数を与える」というものである。Kolyvaginの定理から$L ( E, 1 ) \ne 0$であれば$E$はランク0でなければならない。この論文では、楕円曲線の$L$関数がウエイト2の保型形式の$L$関数と対応付けられるという事実(かつて谷山・志村予想と呼ばれていたモジュラリティ定理)を用いて、上記の楕円曲線の$L$関数を導出し、$N=3,9$において実際に$L (E, 1) \ne 0$となることが数値解析により示されている。具体的には$N=3,9$についてそれぞれ$L (E, 1) \approx 1.0305$, $L (E, 1) \approx 1.3376$で与えられている。
テクニカルなので一部はしょってしか説明できませんでしたが、物理というより数学の論文のようでした。個人的にはアノマリー相殺の関係式を楕円曲線とみなして議論するのは強引だなあとの印象を受けましたが、このような切り口はこれまでなかったので新鮮でした。BSD予想を物理的に考察することは私も以前に考えたことがありますが断念した記憶があります。モジュラリティ定理よりウエイト2の保型形式と楕円曲線が$L$関数のレベルで対応しているので、個人的にはこの保型形式やヘッケ作用素に物理的な解釈を与えることでBSD予想に何か新しいことが言えるのではないかと邪推しています。
最後にこの論文の表紙に In memory of P. G. O. Freund と書いてありましたが、Freund先生が亡くなっていたとは知りませんでした。FreundといえばFreund-Rubin compactificationというので高次元理論のコンパクト化に先鞭をつけたことで有名ですが、私はだいぶ前に読んだ A Passion for Discovery
の印象が強いです。ルーマニアで反政府デモに参加し捕らえられ九死に一生を得てからアメリカで理論物理学者として大成するという数奇な人生を送られた先生の情熱が伝わってくる素晴らしいナラティブ(物語)でした。
追記(8/27/2020):Freund先生の業績詳細についてはこちらを参照ください。
標準模型ではカラー自由度が$N=3$で与えられ、(弱い相互作用を受ける)左巻きのクォーク・レプトンは$SU(2)$のダブレット(2重項)表示されるが、この論文では先月発表された arXiv:1907.00514 [hep-th] を参考にして、$N$を任意の自然数にとり左巻きのクォーク・レプトンを$SU(2)$のマルチプレット($q$重項)表示されると仮定して、標準模型の類推からアノマリー相殺の関係式を導出し、$q=3$の場合にこの関係式が射影平面$\mathbb{P}^2$上の非特異な平面代数曲線(楕円曲線)とみなせることを示している。このような仮定($q=3$)は現象論的に現実的ではないため、素粒子論としての応用はあまり期待できないものの、楕円曲線の階数は数論において重要な研究対象なので物理的なアプローチから階数の解析がなされるのは興味深い。
楕円曲線はMordell-Weil群と呼ばれるアーベル群 $E( \mathbb{Q} )$ と関連付けられ、これは$E( \mathbb{Q} ) = \mathbb{Z}^r \oplus T$と表される。ただし、$T$はねじれ(torsion)群と呼ばれる有限部分群であり、$r$は階数(rank)である。この論文の主要な結果は、「上記アノマリー相殺の関係式から導かれる楕円曲線の階数は$N=3,9$のとき$r=0$となり、それ以外の$N$では$r>0$となる」というものである。アノマリー相殺の関係式に還元すると、これは「スケール因子を除くと$U(1)$ハイパー電荷が$N=3,9$の場合にはユニークに決まるが、$N \ne 3,9$の場合はハイパー電荷は無限に選べる」と言い換えられる。
これらの結果を補足・確認するのに楕円曲線のデータベース
http://www.lmfdb.org/EllipticCurve/Q/
が用いられている点も面白い。私も以前からこのLMFDBで遊んでいましたが、実際に物理の論文で使われているのを見ることはありませんでした。この論文ではLMFDBを用いて、実際に$N=3,9$に対応する楕円曲線がランク0($r=0$)であること及び$N<34$の範囲では$N\ne 3,9$に対応する楕円曲線は$r \ge 1$であることが確認されている。
さらに、$r=0,1$においてBSD予想が正しいことが知られている(Kolyvaginの定理)ことから上記の楕円曲線が$N=3,9$において$r=0$であることが確認されていることも興味深い。ここでBSD予想(BSDランク予想とも呼ばれる)とは「楕円曲線$E$の$L$関数 $L(E, s)$ を $s=1$ についてテイラー展開 $L(E,s) = C (s-1)^r + \cdots $ ($C \ne 0$)すると、$r$は楕円関数$E$の階数を与える」というものである。Kolyvaginの定理から$L ( E, 1 ) \ne 0$であれば$E$はランク0でなければならない。この論文では、楕円曲線の$L$関数がウエイト2の保型形式の$L$関数と対応付けられるという事実(かつて谷山・志村予想と呼ばれていたモジュラリティ定理)を用いて、上記の楕円曲線の$L$関数を導出し、$N=3,9$において実際に$L (E, 1) \ne 0$となることが数値解析により示されている。具体的には$N=3,9$についてそれぞれ$L (E, 1) \approx 1.0305$, $L (E, 1) \approx 1.3376$で与えられている。
テクニカルなので一部はしょってしか説明できませんでしたが、物理というより数学の論文のようでした。個人的にはアノマリー相殺の関係式を楕円曲線とみなして議論するのは強引だなあとの印象を受けましたが、このような切り口はこれまでなかったので新鮮でした。BSD予想を物理的に考察することは私も以前に考えたことがありますが断念した記憶があります。モジュラリティ定理よりウエイト2の保型形式と楕円曲線が$L$関数のレベルで対応しているので、個人的にはこの保型形式やヘッケ作用素に物理的な解釈を与えることでBSD予想に何か新しいことが言えるのではないかと邪推しています。
最後にこの論文の表紙に In memory of P. G. O. Freund と書いてありましたが、Freund先生が亡くなっていたとは知りませんでした。FreundといえばFreund-Rubin compactificationというので高次元理論のコンパクト化に先鞭をつけたことで有名ですが、私はだいぶ前に読んだ A Passion for Discovery
の印象が強いです。ルーマニアで反政府デモに参加し捕らえられ九死に一生を得てからアメリカで理論物理学者として大成するという数奇な人生を送られた先生の情熱が伝わってくる素晴らしいナラティブ(物語)でした。
追記(8/27/2020):Freund先生の業績詳細についてはこちらを参照ください。
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