2019-02-10

2004年4月のイベリア半島北西部ドライブ:ポルトからコンポステーラ往復

もう15年近く前になりますがポルトガル北部とスペインガリシア地方を旅行しました。独身最後の旅行、奮発して3泊ともスペインのパラドールに泊まりました。まず初日はTAPポルトガル航空でニューアーク空港からポルト空港へ。飛行機が無事着陸すると乗客の皆さんが拍手で喜んだのが国民性が表れているようで微笑ましかったです。TAP航空はポルトガルの国営会社で私が大学の時に勉強したポルトガル語の教科書にも出て来たほどで、ポルトガルを象徴する飛行機です。ポルトガルとの直行便が発着するニューアーク空港のあるニュージャージー州にはポルトガル系の移民が多い気がします。いま調べてみると

https://en.wikipedia.org/wiki/Portuguese_Americans

にあるようにポルトガル系アメリカ人の州別の出生地の統計では、New Jersey は Massachusetts についで全米2位となっています。そういえば、その頃 New York Post にニュージャージー出身のポルトガル系アメリカ人がロッタリー(宝くじ)に当たって大富豪になったという記事が載っていました。機内では前述のポルトガル語の教科書を持ち込んで付け焼刃的な準備をしましたが、なんと座席ポケットに教科書を置き忘れてきてしまいました。到着はお昼頃でした。ポルトガルでサッカーのヨーロッパ選手権が行われる直前だったので空港ではそのマスコットたちが迎えてくれました。空港でレンタカーを借りたのですが免許を取って以来久しぶりのマニュアル車で慣れるのが大変でした。空港周りを試し乗りしたのですがおっかなびっくりで見切り発車してしまいました。案の定、市内に入って坂道で止まった際に坂道発進が上手くいかずトロトロしていると、しびれを切らした(今の)妻に助手席からサイドブレーキを引かれてしまいました!これはさすがに驚きました。オートマ限定の免許しかもっていない妻にガヤガヤ言われるのは心外でしたが、初めての欧州車(シトロエンのコンパクトカー)でパニクってしまいました。バックする時もシフトレバーを上手く持ち上げて動かさないとダメだったので初めは訳が分からず、路駐の際にとうとう見かねた歩行者のおじさんに運転を代わってもらいました!ポルトガルのようにのんびりした国だったから良かったですが、今考えるとそのまま乗ってかれたらどうしようもありませんでした。その後なんとか運転できるようになり、中心街の地下駐車場に車を止めて市内散策をしました。が、長いお昼休み中のようで閉まっているお店も多く閑散としていました。


ドゥエロ川にかかる橋

レンタカーと街並み外観

ポルト市内で(運転の疲労感が出ちゃってます)

暗くなる前に宿に着きたいので一路北上。途中ビアナ・ド・カステロという風光明媚な所に寄りました。



その後、国境を越え新しい高速道路を経由してバイオーナへ。とても気持ちのいいドライブでした。



バイオーナには海に面した古いお城があり、そこの一部をパラドールにしています。素晴らしい所でした。2日目の朝の様子。

バイオーナの絶景と妙齢の美女

パラドール入口で

この日はのんびりサンティアゴ・デ・コンポステーラまで北上。レンガ色の屋根が統一されていて、青い海、青い空、そして新緑の緑に映えます。


途中のガスステーションで

途中ビーゴの市街地を経由して高速でコンポステーラまで。あっという間です。



大聖堂へ向かう道
大聖堂正面広場から

大聖堂の真下から

大聖堂の近くにもパラドールがありますが、最高級グレードのパラドールなので今回は敬遠しました。近くの公園によって一休み。公園からの大聖堂遠景。


コンポステーラを後にして再び南下。



来た道(高速)をそのまま下りました。安全運転の意識が強すぎて高速でもトップに入れず4速で走っていたのが良くなかったようです、ポンテベドラに着くとエンジンからもくもくと煙が出てきました。どうやらオーバーヒートのようなので、市内に入り車を止めました。すると近くを走っていた10歳ぐらいの娘さんを連れたお母さんが同じく車を止めてすぐ私の方に駆け寄ってくれました。「アセイテ、アセイテ」というのでどうやらエンジンオイルを交換する必要があるようです。私はとりあえず少し時間をおいて動かなかったら保険会社(チューリッヒ)に電話しようと考えていましたが、当時携帯電話もなく、しかも勝手に国境をまたいでスペインに来てしまっているし、さらにポルトガル語でオーバーヒートの説明なんか無理だよなあと、まさに「どないしよう」状態でした。そのお母さんに日本からレンタカー借りて来てるんだけど動かなかったら困ったことになると適当なスペイン語で説明すると、すぐにアセイテ買ってくると言ってマニュアル車で颯爽と去っていきました。すると数分後に本当にエンジンオイルを持ってきてくれました!あまりの親切ぶりに私は感激してしまい、足りたかどうかわからなかったけどアセイテ(油)代を支払い、何とか住所を聞き出して後日、礼状とともに日本のお土産を郵送しました。届いたかどうか不安ですが、パトリシアさん、あの時は本当にお世話になりました、ありがとうございました!といっても、通じないのでここはスペイン語で ¡Muchísimas gracias, Patricia, por todo! その後彼女はまた煙が出てきたらアセイテを注しなさいとの適切な助言とともに去って行かれました。無事トラブルも解決して、いや、解決してもらって、何とかポンテベドラのパラドールに到着しました。

パラドール入口にて
翌朝のポンテベドラの様子。

光と影のコントラストが印象的でした


この日はのんびり下道でオーレンセのほうまで向かいながらトゥイのパラドールを目指しました。今となっては詳しい道は忘れてしまいましたが、とてものどかな風景が続いたことを思い出します。オーレンセまでは時間の関係で行けませんでした。ただ、カミロ・ホセ・セラの小説『二人の死者のためのマズルカ』


で舞台となった地域を体感できたのは良い思い出です。小説では粉糠雨が降り続いて山の稜線が消えていたようですが、私が行ったときは晴天で遠くに見える比較的低い山々の稜線もハッキリ見えました。お祭り騒ぎの小さな町を通り過ぎたり、私同様マニュアル車の運転に手こずっている若いアメリカ人観光客を目撃しながら14時頃にはトゥイに到着しました。トゥイのパラドールはオープンしたてなのかとても奇麗で素晴らしかったです。川を望む高台にあり景色も抜群でした。スタッフもとても気さくでチェックイン時間前だったけど部屋に案内してもらいました。荷物を置いて市内散策。




さらに国境をこえてポルトガルのバレンサにも足を伸ばしました。橋を渡ればすぐです。バレンサは城塞都市だったようです。



国境の川はミーニョ川というそうです。対岸がスペイン




翌朝、パラドールの部屋からの景色が素晴らしかったです。



最終日は内陸沿いの道を選びブラガに寄ってからポルトの空港へ。



さてレンタカーを返すときに迷ったのが車に積んでいたエンジンオイルの処理です。途中で捨ててくればよかったのですが、返却時点まで気づきませんでした。今ならしれ~っと車に置いたままにして何か聞かれたら正直にオーバーヒートしたと言えばよいと分かるのですが、当時はそんなトラブルがあったら追加料金取られるかなあなんて思い結局、エンジンオイルを持ったまま空港へ。さすがにそのままチェックインするとテロリストだと思われかねないので空港の外のごみ箱にこそっと捨ててきました。もし誰かが火気を捨てて大惨事になったら大変だなと後ろめたい気持ちもありましたが、どう考えても燃えるごみだったのであの状況では仕方ありませんでした。

これで何とか帰れるとホッと一息ついてチェックインしようとしたところ、ここでこれまでの旅気分が吹っ飛ぶようなとんでもない事態が発生!妻がアメリカから日本へのチケットをニューヨークの私のアパートに置きっぱなしにしていたので(私が何も考えずに要らないだろうと言ったので!)、チケットカウンターで日本に帰るチケットがない限り国際線には乗せられませんと強い口調で断言されました。(私はアメリカの学生ビザがあるので大丈夫でした。)翌日か確か二日後に2人でアメリカから帰国して結婚式を挙げる予定だったので、これは大変なことになったと思いどうすればいいか聞いたところ、
  1. アメリカから日本に帰国するチケットの証明を航空会社(日本航空)に依頼して発行してもらう、だだしポルトではそれは行えないので国内線でリスボンに行ってそこで手続きを行う。証明が取れたらリスボンからアメリカ行きの飛行機に乗れるように手配する。
  2. フライトをキャンセルして妻だけポルトから日本行きの片道切符を購入する。
さすがに、2. はできないので 1. でお願いしました。リスボンに飛ばされたのはポルトではチケットの購入証明を発行するプリンターがないからだったと記憶しています。とにかく、まさかの展開でポルトからリスボンまでのフライトは楽しむ余裕もなく不安でいっぱいでした。最悪、妻が結婚式に間に合わないという事態にもなりかねないし、自分も一緒にアメリカのフライトをキャンセルするのは予算的にも無理だし、アパートに帰国準備の荷物があるのでもし証明できなければ妻一人で帰国してもらうことになるなあ、なんていろいろな事態をグルグル想定していました。無事、リスボンに到着後、色々と掛け合い最終的にはロンドンにあるというJALの事務所に連絡してなんとか証明書をリスボンの空港で発行してもらいました。ロンドンの事務所が閉まる間際だったのでホントにドキドキして心臓に悪かったです。確かポルトガル時間16時に閉まるとかなんかで焦ったことを思い出します。JALのロンドン事務所の方は記憶が正しければ確か松原さん(あるいは松林さん?)とおっしゃったでしょうか。あの時はホントにお世話になりました。JALロンドン事務所の方々、ありがとうございました!晴れてリスボンからようやくTAPに乗せてもらいました。


ふうっ~~。最後の最後にスリル満点体験のおまけ付きの旅行でした。私の準備不足を恥じるばかりです。皆様もよかったら参考にしてください。

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