あの天安門事件が起きてから32年、1989年私は中学3年生でしたが、今でもよく覚えています。その年は年始に昭和天皇のご崩御で元号が平成に変わり、6月4日の天安門事件、秋にはベルリンの壁崩壊、年末のマルタ会談で米ソ冷戦終結、そしてルーマニアのチャウシェスク大統領銃殺。TVを通してリアルタイムで刺激的な映像が流れてきました。
その頃、私は受験勉強で大忙しでしたが、歴史的な事件は試験に出るかもしれないということで時事問題も熱心にフォローしていました。中2までは地元の塾に通っていたのですが、なんとなく物足りなかったので中3になる直前の春休みに通学路に落ちていた大手進学塾TAPのチラシを手に八丁堀まで行ってそれらしい生徒の後を追って無料の入塾試験を受ける手続きをしました。親には事後報告でした。春期講習後なんとか上から2番目のクラスに入って新学期から八丁堀に通うことになりました。大手だけあって進度が全く違ったので追いつくのに大変でしたが、外国帰りで英語がペラペラの友達などが出来てとても刺激的でした。
5月ごろには一番上のクラスに上がれたのですが、その頃、塾長の小田先生が会社上層部と揉めたので小学部の先生と一緒に新しい塾を興すからそちらに来ないかという話になりました。私としてはみんなが行くなら当然行くでしょ!という感じで迷うことは全くありませんでした。確か上のクラスの生徒は授業料が半額になるという話もあったと記憶しています。7月には人形町の事務所のような所でホッチキス止めのプリント教材を使って授業が始まりました。それが今のSAPIX中学部の始まりです。
先生方も一年目の進学実績が今後の経営にも重要だと認識されていたのでしょう、とても熱心に教えてくれました。授業終了時間から1,2時間オーバーするのは当たり前で終電間近の地下鉄で帰宅したこともあります。数学では出来るまで帰れないという問題が出て、その中には大学入試の問題もありました。たまに東大の問題も出されたりして困りました。でも何故か出来るようになるものです。英語・数学の小田先生だけでなく、数学・理科の高橋先生、英語の中山先生、社会の関戸先生、理科の石崎先生、国語の桑原先生などなどあの頃の先生方には大変お世話になりました。自分としては5教科全てで密度の濃い授業が展開されたので途中で一時期オーバーヒート気味でしたが、周りの優秀な友人に支えられて何とか乗り切った感じです。
一度、常に左側の最前列に座っていた寡黙な鬼頭君が問題が解けなかった際に拳を机に叩き付けて悔しがった様を見て自分とは気合の入り方が違うと畏れ入ったことがあります。勉強であんな風に真剣に率直に悔しがる姿は鮮烈で今でも記憶に残っています。あれだけやったのだから当然ながら最後まで上のクラスに居た人はほぼ全員志望校に合格しました。大学に入ってからあの頃仲良かった仲間と会う機会がありましたが、その際、1989年のことは高校受験と重なっていて異常に覚えているんだよなぁという大沢君の言葉に深く共感したことがあります。