2019-04-08

春休み中の子供と甲子園観戦、夙川散策&高羽再訪など

中学入学直前の長女がテレビで選抜高校野球を見たりして暇そうにしていたので、せっかくの機会だから一度甲子園に見に行こうかということになり子供2人と関西まで日帰りしてきました。

私が小学生だった頃は外野席が無料で近所の人が内野席のチケットを融通してくれたりしたので夏休み・春休みには友達とよく甲子園に観戦に行きました。夕方に公園で遊んでいると「今日、甲子園行ってきたで、PLが東海大山形に29点取った試合みたで。その後、トイレでこけた。」と足のケガを見せながら遊びに加わる子などもいて甲子園を身近に感じていました。しかし関東在住の我が子たちは甲子園はテレビでしか知りません。上の子の受験も終わったことだし子供たちにあの阪神間の雰囲気を感じてもらうのも教育効果があると考え、下の子も連れて4/2の準決勝を見に行くことにしました。私も甲子園に行くのは24年!ぶりです。

前日に鎌倉の両親の家に泊まることになったので一泊二日の行程です。




三鷹駅ホームから

鎌倉到着、若宮大路は無電柱化されていて歩きやすいです


由比ガ浜で従兄妹と祖父と遊ぶ子供たち



さて、甲子園に行くことになった数日前に長女が小学校3年生の時に西宮に引っ越したお友達に葉書を出しておくように伝えていたのですが、ちょうどこの日の夕方に子供のスマホに連絡があり、翌日の午前中に再会できることになりました!子供同士で色々と話したいこともあるだろうし、下の子は野球のルールも分からないので第一試合から観戦するのはやめにして、10時半からお昼ごろまでお友達の案内で香櫨園周辺を散策することになりました。夙川の桜も見ごろなはずなのでちょうどよかったです。

朝6時20分に鎌倉を出発。


横浜駅、東神奈川駅、新横浜駅と移動して7:39発の新幹線のぞみ205号で新大阪へ。手ぶらだと失礼かもしれないので横浜駅で手土産を買いました。9:50新大阪到着、大阪駅に移動して阪神電車で甲子園を通り過ぎお友達のいる香櫨園駅へ。


浜名湖付近

名古屋駅手前
大阪まであと少し

香櫨園駅到着

久しぶりのお友達と再開して早速夙川沿いに浜のほうへ



途中の図書館でお友達のお母様に久しぶりにお会いして、忙しい所ご足労してもらいさらにご丁寧にもお菓子を頂きました。横浜駅で手土産買っておいて恥をかかずに済みましたが、こうなりそうな予感がしていたのだからもっとまともなもの買っておけばよかったと反省しました。



駅から数分で海です、いいところですね

小学校低学年の頃、芦屋の打出に転校した石井君の家に遊びに行ったことがあります。石井君のマンションから浜辺がすぐでしたがその時のことを思い出しました。もう35年も前の話、震災が24年前なので震災よりも11年前の話です。震災の時は大学の試験が終わった春休みにすぐ近くの浜脇小学校に3週間ボランティアで滞在しました。倒壊住居の後片付けや深夜の見回り、子供たちと遊んだりと貴重な体験をしましたが、避難所の皆さんに返って親切にしてもらうばかりであまりお役にたてませんでした。大学の生協を通してボランティアに応募したので全国各地の大学生と知り合えたのも良かったです。阪神高速が倒壊した場所に近く被害状況は甚大でしたが土地柄からか皆さん明るく振る舞っていたのが印象的でした。

その時仲良くなった子供たちに誘われて春の選抜高校野球を見に行くことになりました。地元の育英対東京の創価戦でした。私は高校の野球部時代に創価高校と練習試合をさせてもらった経験があったのであの創価の試合を見られるのかと感慨深かったですが、神戸出身者としては当然地元の育英を応援しなきゃなあと思っていたところ、意外にも創価のアルプス席に入れてもらって応援することになりました。その時、ちょっと拍子抜けするとともに、初めて阪神地区には創価学会関係の人が多いのだなあと気づきました。そういえば浜脇小学校のすぐ隣に創価学会の平和講堂があり、私が居たときに一度吹奏楽団のコンサートが開催され感激した覚えがあります。

あまりのんびりしてもいられないので、河口から香櫨園駅の方へ戻りました。







途中の夙川公園で遊びました。あっという間に時間が経ってしまいます。今度いつ会えるか分からないので名残惜しい所ですが、子供たち同士はスマホでつながることができたようなのでこれからも仲良くしてもらえればと思います。

香櫨園駅でお友達とお別れしてから、甲子園に向かいました。


第一試合(習志野vs明豊)は終わっているかと思いましたが、なんとか習志野の最後の攻撃を観戦することができました。習志野の応援は噂通り迫力満点でした。第二試合は地元の明石商業対愛知の東邦でしたが、どちらの応援も迫力があり楽しかったです。


5回終了後のグラウンド整備

地元の明石商業を応援していましたが、惜しくも負けてしまいました。春の大会ということもあり両チームともにバントのミスがあったり、明石商業は大事な所で守備のエラーがあったりで、夏に向けて課題が見つかったのではないでしょうか。(ちょっと上から目線ですみません。高校野球経験者ということで大目に見てください。)下の子はさすがに朝早かったので途中でお昼寝してしまいました。

試合終了後は私が住んでいたマンションに連れて行こうと思いましたが急な坂道の上にあるので断念して、通っていた小学校に行ってみることにしました。甲子園駅から御影駅に行き、16系統の市バスに乗り高羽のバス停で降ります。(昔と同じルートです。)


高羽で降りると、交差点には昔は無かった立派な歩道橋がかかっています。

歩道橋の上から六甲山を見上げる

港の方を望む

昔の住んでいた方はこちら、山の中腹に見える建物あたりかな

懐かしい地下道の前で、地下道は当時のままでした。

高羽公園に到着

奥に見えるのがわが母校、高羽小学校です

まさか子供たちを連れて高羽公園で遊べるとは思わなかったので感動してしまいました。校舎は建て替えられましたが昔と変わらない景色です。「♪港の東楠ヶ丘、世界の船の行き来する、海見下ろして、ああこの窓に、光は満ちぬ、学び舎高羽♪」ってまだ歌えますね~。

さて、最近読んだ本「地形由来で見る東京の地名」


によると羽の付く地名には粘土質の土壌があるとのことです。羽田、赤羽、羽根木などは粘土層があるそうです。過去に海や川・湖の底であった地層が隆起・浸食されて表層に出てきたと考えられます。高羽の場合はどうなのでしょうか?


小学生の時の記憶では、森の土は粘土質で独特のにおいがあったことを思い出します。神戸市教育員会のサイト

http://www2.kobe-c.ed.jp/shizen/strata/tisokobe/loc_area/eastnada.html

によると私が住んでいた灘区桜丘町の表層地質は「大阪層群・花崗岩」とのことです。大阪層群には粘土層が含まれるのでおそらくこれが高羽の地名に関係しているのではと思われます。

ウィキペディアによると、高羽は竹生(たけう)の転訛したものであると考えられているそうです。確かに私の記憶では近くの森には笹が群生していました。それを引っこ抜いて振り回して遊んだものです。竹林は粘土質の土壌に生えることが多いので、やはり高羽の羽も粘土質の土壌を示唆していると思われます。詳しいことを知っている方がいらしたら教えてください。

帰りが遅くなりそうだったのでここで帰ることにしました。懐かしい道を阪急六甲まで歩いて阪急電車で梅田まで。新大阪で切符を指定席にするかどうか迷いましたがそのままホームに上がると新大阪発ののぞみに運良く乗れたので3人ならんで座れました。子供たちは途中で寝てくれました。東京駅で中央線に乗り換え三鷹に着いた時には22時を過ぎていました。子供は大変だったでしょうが、充実した一日でした。

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