2018年11月29日

最近読んだ本:やり投げ、路地

最近テレビで取り上げられた懐かしいアスリートにやり投げの溝口選手がいます。私は中学生のころ陸上部だったのでTOTOスーパー陸上やオリンピックなどテレビで見る機会があると熱心に陸上競技を観戦していました。もちろん当時人気のカール・ルイス、ベン・ジョンソンなどの短距離走の選手に注目していましたが、高跳びのショーベリやソトマイヨールなど個性的な選手にも興味がありました。キューバのソトマイヨールは陸上選手だけど葉巻を吸ってるなどの情報に何故かワクワクしていました。当時世界レベルで通用している日本人選手はやり投げの溝口選手だけでした。身長は180センチぐらいだけど日本人離れした体格でとにかく槍をぶっ放していた印象があります。投擲種目はあまり放映されいませんでしたが溝口選手だけは別格のイメージがあり今でもよく覚えています。ただ、オリンピックではメダルを取れずいつのまにか引退されていたようです。その後はてっきりどこかでコーチをしていると思っていましが、なんと所属の会社を退職されてパチプロをしながら室伏選手などのコーチを無償でしていたそうです。その後、故郷の和歌山県に戻り現在はトルコキキョウの栽培農家をしているとのことです。そんな溝口選手を引退前から長年取材されていた著者によるスポーツ・ノンフィクション『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』


は最高に面白かったです。一気に読み切りました。著者が溝口さんの言葉を一人称の形で直接読者に語りかけるスタイルが秀逸でした。長年にわたる取材から著者の上原さんが溝口さんの哲学・人間性を深く理解していたから書けたのだと思います。やり投げという競技に人生をかけた溝口さんの信じられないほどの(ウェイト)トレーニングには圧倒されました。これだけやれば当然筋肉はつくでしょうが体のバランスを失うと槍を投げるたびにダメージが蓄積して腱や靭帯が損傷してしまいます。腱や靭帯を一度損傷してしまうとそれを元の状態に戻すことはほぼ不可能です。尋常でない努力で世界一にまで上り詰めた直後にそのようなケガに泣かされた溝口選手の悔しさは他人には計り知れません。やり投げという個人競技をとことん追求した溝口選手に清々しさを感じました。その溝口選手が一番だと認めるやり投げ選手が 98.48m の世界記録を持つヤン・ゼレズニー選手です。


動画の最後のほうで世界記録を出したときの映像が流れます。ゼレズニー選手は全体的に細身でパワーで槍を投げるというよりはしなやかな肩周りの動きから槍をぶっ放す感じです。下半身の動きもしなやかで投擲時に体のひねりを充分に解放しているように見えます。またその運動量を受け止めるためフィニッシュでは体全体を投げ出しています。とくに世界記録の映像では投擲直後に前のめりにダイブして両手両足で着地しています。投擲直後に片足だけで踏ん張りすぎるととおそらくケガをしてしまうからです。ダイブするぐらいでないと槍は90mを超えないのだと思います。こういった一連の動きは非常にスムーズでバランスが取れています。また投擲前のサイドステップは躍動しておりリズム感があります。若いアスリートは当然これらの映像を参考にしているでしょうが、日本人の場合は溝口選手のようにウェイトをしてパワーをつけないと世界では戦えないでしょう。体のしなやかさ・バランスを保ちながらウェイトをしてケガのない競技人生を送ってもらいたいものです。いつか日本人がやり投げで世界記録を出して溝口選手の無念を晴らしてもらいたいですね。

著者の上原善広さんは有名なノンフィクション・ライターだそうですが恥ずかしながら今まで知りませんでした。代表作の『日本の路地を旅する』


を手に取って読み始めたらこれまた引き込まれて一気に読みました。上原さんは私と同世代なので共感できるところが多かったです。被差別部落というデリケートな問題を過去にさかのぼって日本各地で掘り起こすことをテーマにした紀行文エッセイのようであり、その実は上原さん本人の内省的な私小説にもなっているという上質で文学的な作品です。このようなジャンルは今までになかったのではないでしょうか。著者本人が部落出身でありながら幼くして路地(被差別部落のこと)を離れたという経緯、おそらく人生で最も幸せだった路地での日々への郷愁、取材対象への学者のような探究心と調査能力、路地の問題を隠すことが返って差別を長引かせるのだという取材・体験に基づいた著者の信念、そしてなにより広く世界を見てきた著者の人間性がなければ書き上げられなかった作品だと思います。エタと呼ばれた人たちが歴史的に牛の屠殺に携わっていたことは何となく知っていましたが、それがインド・ネパールのヒンズー教にルーツがあったとは考えが及びませんでした。井上靖が那智勝浦で行われていた補陀落渡海について小説を書いていましたが、その補陀落とは南インドの海岸にあるサンスクリット語のポータラカ山に由来しているそうです。以前、このことを知った時なぜかゾワゾワしたのを覚えています。私の個人的な思い込みかもしれませんが、関西圏には言語感覚に優れた天才気質の人がいますがそういった人たちと私がアメリカでお世話になった才能豊かなインド人たちに似たようなオーラを感じたことがあります。

私が物心ついたときには大阪の柏原市に住んでいました。5歳で神戸市に引っ越しましたが柏原での日々は良く覚えています。一度お祭りの御神輿に友達が乗っているのを見たとき自分は一生乗れないだろうなと直感したことがあります。神戸では山の上を切り開いたマンションに住んでいたのでまわりに路地のようなところはありませんでした。山口組のお膝元で暴力団関係の人が多かった印象はあります。小学校のころはちょうど山一抗争のころで近くに一和会の事務所がありいつもパトカーが停まってました。話がそれてしまいました。個人的には路地の記憶のようなものは持っていません。ただ、何となく懐かしくは感じます。

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