作家の大江健三郎さんがが亡くなられたそうです。大江健三郎と聞いて最初に思い出すのは大学1年の秋、早朝の井の頭線の車内で向かい側に座っていた乗客が開いたスポーツ紙の一面に飾られた「大江健三郎 ノーベル文学賞!」のインパクト。それまでスポーツ紙に学術的な話が載るとは思っていなかったので、ノーベル賞受賞が「阪神優勝!」と同列に扱われることに戸惑った記憶があります。それだけ国民的な関心が高いニュースだったのでしょう。私はそれまで大江健三郎の本を読んだことがなかったので、さすがに一度読んでみようと手にしたのが文庫版の『人生の親戚』
でした。ちょうどスペイン語を第二外国語で勉強していてラテンアメリカ文学にも興味を持ち始めたのでタイトルがスペイン語の Parientes de vida の直訳でメキシコで慣用的に使われている「人生についてまわる不幸」のこと指していると知り興味を持ちました。まだ二十歳そこそこで人生経験も浅かったけどもじわ~~とくる内容でとても感動した覚えがあります。最初に読んだ大江の作品がこれでよかったです。
その後、デビュー作を読んだきりほかのことに忙しくなり敬遠していましたが、アリゾナに1年いたときに図書館で大江の(日本語の)本を借りたい放題だったので初期の作品をいろいろ読みました。性的な描写や思想的にもロックな内容があり、当時の若者には受けただろうなあと楽しく読んで、時に音読するほどでした。ただ、その中で一番良かったのはやり『新しい人よ眼ざめよ』
でした。身近に障害者をもつ人の圧倒的な優しさと強さが文学に昇華されていて感動しました。私にとって大江健三郎の傑作は『人生の親戚』と『新しい人よ眼ざめよ』です。これらの著作を通して、不幸への救いを宗教に求めず古今東西の文学、言葉に求める大江健三郎の態度は作家として一貫性があり誠実であると思いました。
もちろん『万延元年のフットボール』、『燃えあがる緑の木』など社会的・文学的に重要な作品も多いのですが、私にはいたずらに複雑すぎる印象で付いて行けませんでした。大江健三郎の文学を手っ取り早く知るにはあの印象的なノーベル賞受賞講演を見直せばよいと思い調べてみるとこちらにありました。やはり複雑すぎるきらいはありますが、最後にはじわ~とくるというか感動するんですね。個人の言葉の重み・強さに惹かれるのでしょう。ただ、一点気になったのはキャッチコピー的な言葉の使い方。海外の文学者・学者が分かり易いように気を配ってのことなんでしょうけど門外漢の私には何か気取っているように感じました。本好きの友人が以前、大江健三郎はノーベル賞狙って海外でPRしていたなんて少し否定的にコメントしていましたがそういう部分ももしかしたらあったでしょう。しかし私はむしろ肯定的にみています。そうでもしないと西洋から見れば辺境の日本の本なんて読んでくれないでしょうから。
今回の訃報に接し大江健三郎が文化勲章を辞退し天皇制に反対したことについてはあまり触れらていませんでした。また、平和憲法遵守の政治的態度を一貫して表明してきたことは報道されていないようでした。これらの政治的態度は大江の作家としての思索から導かれた誠実な「問い」なので引き続き私たちが考えなければならない問題でしょう。(日本社会の現状・将来を考えると私はどちらかというと大江の態度に否定的な意見を持っています。)
より個人的なことで大江の言動で記憶に残っていることを列挙してみます。
1.人間関係の中で先生と生徒の関係というものが最も尊い
2.街の本屋に通う一市民の視点から考えたい
3.プールに行ってリフレッシュ
最後に大江光さんの作曲した音楽を紹介します。安らかにお眠りください。
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