私が大学生で物理学科に進んだ頃だったでしょうか、母が珍しく言及し感慨を持って見せてくれたのがこの本でした。柳田邦男著『犠牲(サクリファイス)-わが息子・脳死の11日』
私が中高生の頃、柳田さんはテレビ(専らNHK)によく出演されていてなじみ深く、特に航空機事故・医療問題に詳しい科学ジャーナリストとして日本人の知性・良心の代表者として認識されていたように感じます。その頃、私は学校の部活と受験勉強で忙しかったのですが、もしかしたら将来に役立つと思ったのか本屋で『事実を見る眼』というのを無理して購入して読んだ記憶があります。ただ、母の話によると『犠牲(サクリファイス)』はとても悲しい話だそうなので、二十歳を過ぎたばかりの私はあまり興味を持てませんでした。
あれから25年、母も古稀を過ぎ、上の娘も(健全にも)反抗期に入ってしまい、私はというとコロナの影響で家で悶々とすることも多くなりました。先日、久しぶりに母と会ってから家に帰り、ふとした拍子で『犠牲(サクリファイス)』を読んでみたいと思い立ち、電子書籍で購入しました。
先ほど読了しましたが、とても良かったです。これからも読み続けられる古典になるでしょう。というか、是非読み続けられて欲しいです。内容は著者の次男洋二郎さんが精神を病み若干25歳で自殺してしまったという悲劇を扱ったものです。と、簡単にまとめてしまいましたが、この作品には多くの要素が含まれています。まず、作品として世に著すこと自体がレクイエムであり、洋二郎さんの魂を成仏させる唯一の手段であると確信した著者の強い意志、作家としてのプライドを感じました。洋二郎さんの人となりを読者に伝える部分の解説は冷静でありながらも当然ながら心のこもったもので自然と引き込まれていきます。父子の会話や日常のやり取りの回想、本人が書き残した文章の引用が特に印象的でした。後半部分ではサブタイトルにあるように洋二郎さんの脳死と臓器移植についての問題をジャーナリストの視点から複眼的に分析されています。
読み進めながら、そういえば90年代は盛んに脳死について議論されていたけどあれはやっぱり臓器移植と関連していたのだなあなんて今さらながら思い返しました。ただ、個人的にはやはり洋二郎さんの人となりを知ることが出来たことが一番よかったです。洋二郎さんは中高と多摩地区では有名な私立の男子校に通っていたそうですが、学校生活に上手くなじめなかったとのことです。私は公立の共学校にしか通ったことがないので単純に転校すればよかったのになんて思ってしまいますが、現実には難しいだろうなと、現在娘が私立の女子校に通っている親としては考えてしまいます。受験勉強どころではなかったそうですが、それでも一浪して私大の物理学科に入学されたそうです。柳田さんは物理学科のことを「地味な」学科と書いていますが、文系(経済学部)の柳田さんには分からないかもしれませんが、当時も今も物理学科は理系の王道です!決して地味な学科なんかじゃないのでこの点は考え直してもらいたいと思います。物理学科に進んでガルシア・マルケスの『百年の孤独』
を読み込んでいるなんて、まさに私と一緒ではないですか。その他にも大江健三郎、カフカが好きだったとか。大江健三郎の熱心な読者は理系の学生・大学院生が多いと言いますが私もその一人でした。洋二郎さんとは多分気が合っただろうなぁと想像します。マルケス以外にもリョサ、ヘッセ、池澤夏樹なんか読みましたか?なんて聞いてみたかったです。あの頃、物理学科でそんなの読んでる人は少なかったから。っていうか、私は学部卒業してからなんとアメリカで中南米地域研究科の修士課程に押し入りで入って、その後また物理学科の博士課程に入り直すなんてして彷徨っていましたから。
洋二郎さんの日記の中に出てきた三鷹の友達に連れられて多摩川に釣りに行ったとき話が朗らかで印象的でした。私も行ったことのある府中の郷土の森公園の近くのようで、あそこの野球グラウンドを通り過ぎながら皆で「野球やりてぇ」なんて言っているところが妙にリアリティがあってとても良かったです。硬式・軟式のボールなんかじゃなくて、プラスチックバットとゴムボールを持ってきて近くの子供も誘って野球やってもらいたかったなぁ。プールに行って一人で泳いでいるだけじゃなかなか心は晴れないからね。洋二郎さん、惜しい人を亡くしました。柳田さんには洋二郎さんのことをよくぞ書き残してくれましたと感謝したいです。
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