2019-07-17

2019年夏の北海道家族旅行:31年ぶりの奥尻島再訪

3連休を挟んで昨日まで7/12~7/16の行程で北海道に行ってきました。私は西日本、広島・長崎に行ってみたかったのですが妻が東京から新函館北斗までの新幹線の切符を購入してくれたので道南に行くことにしました。函館に行くのは1988年以来なんと31年ぶりです!その時、私は中学2年生。「家(うち)は子供が中2になったらゴールデンウィークに同性の親と2人で旅行することになってるから」と母が突然宣言したため、父と2人でその年の春にちょうど開通したばかりの青函トンネルを利用して北海道旅行にいきました。学校の先生には嫌な顔をされましたが、母が考えた「予め計画していた社会見学」という名目で連休中日の授業を休みました。ちなみに、3年後、妹が中2のときは母と長崎のハウステンボスに行ったそうです。

31年前は今はもう廃止された寝台特急八甲田に乗りました。その時、寝台車の中で矢野健太郎先生の新潮文庫シリーズ、たしか『数学ふしぎ・ふしぎ (新潮文庫)』あたりを読んだのはいい思い出です。当時はトンネル内に海底駅(竜飛・吉岡両駅)がありましたが、2014年に廃止されたようです。私は付いて行くだけだったので当時の行程はだいぶ忘れてしまいましたが、函館では湯の川温泉のホテルに宿泊しました。大沼でサイクリングをしたり、朝市でイカを食べたあと、今は廃線になった江差線に乗って江差に行き、奥尻島へのフェリーに乗船するまでの空き時間に江差のニシン御殿や江差追分の記念館を見学しました。奥尻島到着後はフェリー乗り場近くの民宿で豪華な夕食を頂きました。翌日はあいにくの曇り空でしたが半日ほど島内をハイヤーに乗って巡りました。観光案内にも記載されていましたがハイヤーの運転手さんが阪急ブレーブスの佐藤義則投手が奥尻島出身だと言うので、父も私も何故かすごく感心してしまいました。フェリー乗り場のある奥尻地区から南下して青苗、さらにその先の奇岩のあるところまで案内してもらいました。まだ道が繋がっていなかったので島内一周はできませんでした。江差到着後、確かバスで木古内のほうへ向かっていたのですが、途中で父が必死の形相で姿勢よく座っていたので、奥尻でのうに・あわび尽くしでお腹にきたのかと不安でしたが、なんとか休憩場所まで持ちこたえてくれたのでほっとしたというエピソードがとても印象に残っています。

それから5年後の1993年7月12日に北海道南西沖地震で奥尻島は津波で大被害にあいました。あれからもう26年、1995年の阪神・淡路、2011年の東日本大震災の衝撃があまりにも大きくて奥尻島の震災のことを覚えている人は少ないかもしれませんが(実際、妻は良く覚えていませんでした)、私は実際に行ったことのある青苗地区が瓦礫と化して火に包まれている映像に衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。今ではとっくに復興しているであろう奥尻島にもう一度行ってみたくなり今回の旅行に組み込みました。行程の概要は以下の通り。

7/12
北海道新幹線はやぶさで8:20東京発、新函館北斗駅到着後レンタカーで道の駅南かやべに隣接する函館市縄文文化交流センターで国宝の中空土偶見学。子供たちと勾玉づくりを楽しみました。その後、室蘭に移動。ルートインGrand室蘭で宿泊。

はやぶさ初乗車です
室蘭へ向かう道央道
7/13
恵庭市のむらかみ牧場で酪農体験。その後、支笏湖で白鳥ボートに乗って湖畔で軽食を取ってから北桧山に移動。温泉ホテルきたひやまに宿泊。久しぶりに日本酒を飲んでバタンキューでした。




7/14
早朝に北桧山を出発し江差へ。フェリー乗船まで時間があったので長女と2人で31年ぶりに江差追分会館に寄り道。以前は大きな座敷に通されましたが今回は無料展示物だけを見て回りました。9時半発のフェリーで奥尻島へ。車を乗せると片道28,000円近くもするのでレンタカーは江差に置いて奥尻島で新たにレンタカー(1日15,000円)を借りることにしました。奥尻レンタカーさんにフェリー乗り場までお迎えに来てもらいました!お昼から車で島内をのんびり一周。素晴らしい景色でした。お世話になった民宿(旅の宿大須田)では食べきれないほど豪華なうに・あわびを御馳走になりました。31年前もそうでしたがウニ鍋というのは奥尻でしか食べたことありません!夕食後まだ明るかったので夕日を見に外出。暗くなってからは宿にあった奥尻町の貴重な写真が収められている冊子(奥尻町教育委員会編)を閲覧しました。素晴らしい冊子で奥尻島の歴史が丁寧にまとめてありました。HPにも貴重な情報が載っているので

http://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/detail/00001469.html
http://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/detail/00001465.html

などを参考にしてください。冊子の中に興味深い話があったので列挙します。

1.江戸時代後期、奥尻島は罪人の流刑地であったこと
2.明治期の一時期に島内では禁酒令が出ていたこと
3.戦後は在留米軍との交流もあり野球などのスポーツが盛んであったこと
4.30年前(1989年)にはいち早くマスコット(今で言うゆるきゃら)の「うにまる」を導入して観光に力を入れていること
5.最近では東京からの修学旅行の高校生を受け入れているとのこと(2015年からは開成高校の修学旅行先にもなっているとのこと)

私が来た31年前はまだ観光地化されていない漁業中心の島だった印象があります。しかし、今回の再訪では驚いたことに道路がとてもよく整備されていて、水産業以外にも稲作、牧畜(奥尻牛)、ワイン造りなどの産業もあり、とても豊かな所だと感じました。フェリーから眺めるなだらかな稜線は島全体が盾状火山であったような印象を受けます。地質学的にも興味深い島なので多くの高校生にも訪問、再訪問してもらいたい島です。無理に観光地化せずに今のように民宿中心の宿泊施設で観光客を受け入れてもらいたいです。一観光客の勝手なお願いですが、球島山からの景色と鳥の楽園としての自然環境をこれからも守ってもらいたいです。

江差フェリーターミナルから乗船、2017年竣工の新しいフェリー

離岸準備

奥尻島到着

賽の河原 展望台から

山腹の草原


球島山から鍋釣岩を望む



西側の海岸


青苗地区の津波館、建築がモダンで資料も充実していました。
奥尻島でも新潟産の勾玉が見つかっているそうです。

「佐藤義則野球展示室」は閉鎖されていました

鍋釣岩 近景
球島山からの夕陽
7/15
せっかくなので早朝に起きて島内半周。盛りだくさんの朝食後、フェリー乗船まで再び島内をのんびり一巡りしました。天気が良く最高の景色でした。江差到着後は函館に移動しラッキーピエロ本店で夕食後、函館山で夜景を見て10時前に五稜郭付近のルートインに宿泊。








宮津漁港













レンタカー返却するまでの残り時間を
この(シークレット)ビーチで過ごしました








奥尻島、さようなら~

7/16
朝食後、五稜郭散策。その後、赤レンガ倉庫で買い物などしてから新函館北斗へ移動。時間があったので大沼公園に寄ってからレンタカーを返却。新幹線で帰京。

函館での写真は定番のものばかりなので省略します。子供たちが奥尻島を再訪するのは31年後かな~~?!

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