2021-11-24

井上靖の幻の文庫本:三ノ宮炎上

 以前は入手できなかった井上靖の文庫『三ノ宮炎上』


を電子書籍で見つけたので、先日読了しました。井上靖の初期の社会派小説で戦後の世相を知ることのできる興味深い短編集でした。井上靖と言えば歴史小説、自伝小説のイメージがあるかと思いますが、『氷壁』に代表されるようにこのような社会派小説も同じぐらい書いています。人気作家だけあって新聞連載や編集者からの依頼に応える形でやっつけ仕事的にどんどんと書いて行ったように感じます。私は詩集から入って『しろばんば』、『あすなろ物語』に代表される自伝物に感銘を受け、『天平の甍』、『楼蘭』といった歴史・西域物に手が伸び、最後に折角だからと大衆向けの社会派小説をいくつか読みました。『四角な船』など新聞連載の長編はあまり面白くなかった記憶がありますが、短編集『愛』の中にあった『石庭』という作品は良かったです。結婚したばかりの女性が龍安寺の石庭を見て離婚を決意するというだけの話ですがとても印象的でいまでも覚えています。

だいぶ前(2004年の年末)に井上靖の文庫本についてまとめた素晴らしいサイトをみつけ、今はもう閉鎖されたゲストブックに投稿したことがあります。そのサイトを見つけたのは『三ノ宮炎上』について検索を掛けたのがキッカケでした。井上靖が神戸について書いているのは珍しいので(神戸出身者として)是非読んでみたかったのですが、当時はネットでは入手できませんでした。ちなみに、私の知っている範囲で井上靖の小説で神戸が出てくるのは『北の海』で主人公が神戸から台湾に向かう船に乗る場面だけです。その時、神戸の親戚か誰かが主人公に受験の話でプレッシャーをかけて主人公が嫌な気分になる場面がありましたが、いかにもありそうだなぁと感じました。神戸の人にとっては悪気はなくむしろ善意のつもりなんでしょうけど、学生にプレッシャー掛けるのは昔からなんでしょうか。私も小学生4年生ぐらいの時に友達と登校していると全く知らないオッチャンから今年は高羽(小)から灘(中)に何人受かったん、君らもがんばりや~みたいなことを言われて当時はなんだか分かりませんでしたが、大人になった今振り返ってみると赤の他人の大人から子供へのあんな声掛けは(80年代の)神戸以外では考えられません!?

話が逸れてしまいました。タイトルにもなっている『三ノ宮炎上』は戦後のどさくさに生きる不良少年・少女たちを描いています。新聞記者として見聞したことを元に著した一種のルポルタージュのような作品でその後の井上靖がの作風とは異なっており、作家としてはあまり読んでもらいたくなかっただろうなあとは思います。ただ、当時の神戸の様子が分かるという点で貴重な作品ではないでしょうか。この短編集のなかで一番印象深かったのが『山の少女』でした。新聞記者からの依頼で交流を持つことになった山に住む少女の話ですが、特段美化することもなく淡々と事実を描写しながらも叙情性のある語り口はその後の井上靖の作風にも通ずるものがありとても良かったです。その他の作品も例えば井上靖が幼少のころに一緒に暮らしたおかのばあさんのことを連想させる登場人物がいたり、『石庭』のように女性の恋愛観をテーマにするものであったり、井上靖ファンにとっては楽しい読み物になっています。短編集なので暇な時に気になる作品から読んでいってもいいと思います。

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