2019-11-20

Lotus Sutra (法華経):法の下の平等思想

NHKの『100分 de 名著』が再放送されています。最近は小松左京の作品や大江健三郎の『燃え上がる緑の木』などが紹介されていて興味深く拝見していましたが、今月は法華経が取り上げられています。

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/75_hokekyou/index.html

指南役の植木雅俊さんは、サンスクリット語の原典を読み込んで正に人生をかけて法華経の思想を理解した方だけに、その解説は素晴らしいものでした。早速本屋で近著


を購入しました。さすがに全文は読み切れていませんが、序文と各章の『解説』を読むだけでも法華経の真髄に触れることができるはずです。本来なら人生を掛けて修行しないと得られないような教えがこのような貴重な本のおかげで知識として得られるとは非常に有り難いことです。

Wikipediaによると法華経(Lotus Sutra)は大乗仏教(Mahayana)の代表的な経典であるとのことですが、植木さんの解説(75ページ)によると法華経は小乗仏教、大乗仏教にある差別思想を越えてより一般に誰もがブッダになることができると説いています。この点で法華経は原始仏教の平等思想への回帰を目指していると強調されています。植木さんの解説で特に印象深かったところ(274ページ)を少し長くなりますが引用します(下線筆者)。
 仏教では人間からかけ離れた絶対者的存在を立てない。中村元先生は「西洋の絶対者(=神)は人間から断絶しているが、仏教において絶対者(=仏)は人間のうちに存し、人間そのものである」(『原始仏教の社会思想』、261頁)と言われた。決して個々の人間から一歩も離れることはない。仏教は、人間を原点に見すえた人間主義であり、人間を”真の自己”(人)と「法」に目覚めさせるものであった。
 「人」は具体的な人格的側面、「法」は普遍的な真理の側面を捉えたものである。これは、人間と真理との関係を捉える仏教独自のものの見方だと言えよう。仏教は、「人」と「法」は一体であるべきだと説いた。「法」は宙ぶらりんの状態では価値を生じない。「人」の生き方に具現されてはじめて価値を生じる。原始仏典に「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」(『サンユッタ・ニカーヤ』)とあるように、その「法」を覚ったことで釈尊という「人」はブッダ(目覚めた人)となった。その「法」は、釈尊が発明したものでもなく、専有物でもない。誰にも開かれている。その「法」を「人」に体現して、「真の自己」に目覚めることが仏教の目指したことであった。 
「法」とは普遍的な真理つまり自然を記述する理論(物理理論)と解釈すると、人間の内面を自然と一体化することが、原始仏教の目指したゴール(の一つ)であり、その自然を象徴するものとして蓮の花(lotus)に仏教の教えが託されたのであろうと感じました。

アメリカに居た頃、カルカッタ出身のインド人で語学の才能のある(物理学科の先輩でPhysical Review Dのエディターをしている)Rashmi Rayと何度も話す機会があり、仏教のことに話が及んだ時に仏教には large vehicle / mahayana と small vehicle / hinayana があるけど、日本は large の方だよね、Lotus sutra 知ってるかなんて聞かれたことがあります。それまで仏教の話を英語で聞いたことがなかったので大乗・小乗って large/small vehicle って言うんだとハッとした記憶があります。Rashmiはサンスクリット語も分かるというので、Lotus sutraをサンスクリット語でスラスラ~と言われた時には圧倒されました。私はサンスクリット語は全く知らないのでただただ感心しました。インド人にとってはサンスクリットは古典的な教養のようです。インド人一般の認識では仏教はヒンドゥーから派生したものでヒンドゥー教の一部とみなしているようでした。

日本では仏教は中国経由で伝わったため歴史的にも経典はすべて漢文で書かれていますが本来はサンスクリット語などで書かれたものなので、原典に当たって経典を解釈することは、中国の時の権力者によって政治利用される以前の仏教本来の思想を研究するにはとても重要かつ唯一の手法ではないでしょうか。とはいえ、そのような研究分野に進む人はなかなか奇特な人でしょう。学部の進学振り分けの際に同じ理系クラスのクラスメイトの志田君がインド哲学(印哲)に行くというので驚いたことがあります。聞くと実家がお寺だそうで仏教に興味が湧いてきたとのことでしたが、あのころはまだオウム事件の記憶が新しかったので、当時の私は志田君の選択が不思議でなりませんでした。その後、本郷キャンパスで偶然会った際にサンスクリット語やパーリ語の勉強をしていると楽しそうに話してくれたのを良く覚えています。あれ以来、志田君とは会っていませんがいま検索してみると立派な研究者になられているようです。アカデミックポストを見つけるのが大変な分野で長年地道に研究してこられた賜物でしょう、さすがです、素晴らしいです。

最後に日本で法華経と言えば日蓮宗。2017年3月に下の娘と一緒に身延山久遠寺に行ったときの写真を紹介します。河口湖ICで降りて本栖湖で富士山を見てから



身延山に移動しロープウェイで山頂まで。



奥に見えるのは赤石山脈

ロープウェイで久遠寺まで戻ってきて拝観。誰でも拝観できるとても開かれたお寺でした。



帰りは新清水ICから新東名に乗り、鎌倉の両親のところに寄りました。

0 件のコメント: